イェルジ・ドゥデク
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イェジイ・デュデク(Jerzy Dudek、1973年3月23日 - )は、ポーランド・リブニク出身の同国代表、FAプレミアリーグ・リヴァプール所属のサッカー選手(GK)。
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[編集] プレイスタイル
ポーランド代表の世界的なゴールキーパー。
確実なポジショニング、セービング技術、シュートに対する反応も非常に鋭い。強烈で、正確なコースのシュートでも、持ち前の反応、セービング技術で確実に弾き出してしまう。
セービングフォームの綺麗さは世界最高峰。彼ほど滑らかなセービングをする選手はいない。
ここ数年、長期的なスランプに悩まされている。好不調の波が激しくなり、神懸り的な活躍を見せたかと思えば、簡単な処理を誤り、失点することが増えている。
[編集] 経歴
[編集] クラブ
1994年から1996年までは、母国ポーランドのクラブに所属。1996年にオランダの名門フェイエノールトに移籍。1998/1999シーズンにはフェイエノールトのリーグ優勝に大きく貢献。
2001/2002シーズンの夏、移籍期間終了直前にイングランドの名門リバプールへ移籍。リーグ2位と優勝こそ逃したものの、リーグ最小失点と、UEFAチャンピオンズリーグベスト8など、チームの好成績に大きく貢献。プレミアリーグ最高のゴールキーパーと高い評価を得る。2002/2003シーズンから、長期的なスランプに陥り、リーグ中盤でベンチ座ることが多くなるも、変わって出場したクリス・カークランドの負傷によりレギュラーに復帰。なんとこの流れが3年連続で続く。
2004/2005シーズン、リヴァプールの正GKだったクリス・カークランドが負傷により長期離脱し、第二GKだったデュデクに出番が回ってきた。 このシーズンは正GKとしてほとんどの試合にフル出場するが、リーグ戦で凡ミスを連発し、マスコミから批判を受ける日々が続く。
しかし、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でドゥデクは真価を発揮。 再三にわたる神がかり的なセービングや、反復横とび、くねくねと体を動かすダンス(通称デュデク・ダンス)で3本のPKを止め、リバプールの5度目の優勝に大きく貢献。 後にデュデクはこのダンスについて、1984年のチャンピオンズシップ ファイナル(チャンピオンズリーグの前進)で活躍したGK、ブルース・グロベラーの動きを真似をした、と述べた。
試合終了後、スティーブン・ジェラードに「彼は批判に耐えて英雄になった。本当に凄い奴だ。」と最大の賛辞を送られたのだった。
しかし、この活躍でも、監督のラファエル・ベニテスに復活をアピールすることは出来ず。シーズン終了後、スペインのビジャレアルからやってきた、ホセ・マヌエル・レイナに正GKの座を奪われ、ドゥデクはベンチにも入ることも出来ずにいる。
[編集] 代表
フェイエノールトでの活躍により、代表に召集される。デビューは、1998年2月25日のスイス戦。次第にレギュラーに定着し、2000年、2001年には、ポーランド最優秀選手にも選出される。2002年の日韓W杯では、直前の怪我の影響で満足のいくプレーが出来ずに、早期敗退を喫した。しかし、その後もクラブでの不調とは対照的に、代表では不動の守護神として活躍。2006年のドイツW杯への進出も決めた。しかし、クラブでの不調があまりにも響き本大会のメンバーから落選した。
[編集] 獲得タイトル
- エールディヴィジ優勝 1998/1999
- ワージントンカップ優勝 2003
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 2004/2005
[編集] 個人タイトル
- ポーランド最優秀選手 2000,2001
[編集] 所属チーム
- GKS ・ティチー 1994-95
- ソコル・ティチー 1995-96
- フェイエノールト 1996-02
- リバプール 2001-
リヴァプール - 2006-2007 |
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