ノート:エホバの証人とホロコースト
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[編集] ノート
議論の渦中にある項目のようなので特に変更理由を示します。
削除部分
人種的な理由で迫害されたユダヤ人やジプシーとは異なり、エホバの証人は政治、思想的な理由で迫害された。
理由
政治、思想的な理由で迫害されたのはエホバの証人だけだったような誤解を招く。また、当時迫害されたユダヤ人を人種集団としてジプシーと一くくりにするのも疑問。
削除部分
さらに強烈だったのは、聖書研究者のドイツの指導者、パウル・バルツェライトが圧力に屈し、信仰を破棄したという問題であった。
理由
特定の人物の行動のみを取り上げるのは中立を欠くと思われる。
変更部分
聖書を「偽りの教理」として退けたら、→彼らの聖書解釈を「偽りの教理」として退けたら、
理由
ナチスは聖書すべてを弾圧したわけではない。
--古月床木 03:10 2004年3月4日 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。最後の点で一言申し上げますと、キリスト教の他の教派はナチに好かれるように「聖書」からユダヤ人と関係のある語句(たとえば、エホバとかシオンといった語)を削除しましたが、エホバの証人はそうしなかったため、ナチは彼らの「聖書」を嫌ったようです。K.M.
僕はエホバの証人を貶めるつもりもナチスを擁護する気も(当たり前です)、またその逆をやる気も(少なくともこの場では)ありませんが、あなたのおっしゃる様なナチスに迎合した聖書解釈もエホバの証人の聖書解釈もどちらも「聖書」と書くのは誤解を招くと思います。--古月床木 16:41 2004年3月5日 (UTC)
私もどの見解にも迎合するつもりはありません。K.M. 05:00 2004年3月9日 (UTC)
スイスの神学者カール・バルトは後にこう書いている。「エホバの証人が共産主義者と結託しているという非難は、不本意の、もしくは故意の誤解による以外考えられない」。
これの出展は??
[編集] 反証サイトに対する反論
反証サイトとして以下のサイトが参照してあった。
- ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係(「エホバの証人情報センター」内のページ)
しかし、このサイトは以下の事実を無視している。
- 当時のドイツ政府とエホバの証人は、千年王国を支持しているという点で、類似していた。(啓示20:4)
- エホバの証人は、聖書に反しない限り、ナチ政権を含む上位の権威に服さなければならない。(ローマ13:1)
- 当時のエホバの証人の賛美の歌と、ドイツの国歌は曲が同じであった。(作曲者が同一のため。エホバの証人が賛美の歌にしていた曲を当時のドイツ政府が国歌として採用)
- ベルリンの大会会場内に鍵十字が飾ってあったという事実はない。[1]仮にそうだとしても、それを撤去することは、ローマ13章の聖書の指示に反している。
- ナチ強制収容所を生き残った現存する生き証人たち
- 1933年、「黄金時代」誌(今日の「目ざめよ!」誌)はドイツの強制収容所の存在に関する数々の報告の最初のものを掲載した。1938年、エホバの証人は「キリスト教撲滅運動」と題する書籍をフランス語、ドイツ語、およびポーランド語で出版した。この書籍は証人たちに対する邪悪なナチの攻撃について、念入りな証拠を挙げながら説明したもので、ザクセンハウゼンとエステルウィーゲンにあった強制収容所の図も載せられていた。もしナチと協力していたのなら、この掲載は不当である。
- 現在のエホバの証人の賛美の歌29番「証人たちよ、進め!」(Forward, You Witnesses!)は、ナチ強制収容所内で作曲されたものである。[2]
- なんか協調してるように見えてしまうけど(苦笑)。NiKe 05:56 2004年6月9日 (UTC)
- 改めて。上に挙げられている『無視された事実』の内、4つ目までは何の意味もありません。どれも『エホバの証人はナチスへの協調を申し出た』という話を否定するものになっていません。さらに、上のIP:61.22.157.95さんが消してしまったリンク先には、最後にこうあります。
- もちろん歴史が語るように、ものみの塔協会のこの卑劣な申し入れはヒトラーにより一蹴され、この後まもなくより過酷なエホバの証人への弾圧が行われました。
- 5つ目の事実は無視されていないのです。協調を申し出たが拒絶され弾圧された、というのですから。以上より、問題のリンク先にある記述は反論も否定もされていないと言えます。NiKe 07:30 2004年6月9日 (UTC)
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- 協調を申し出たという事実はありません。1938年、エホバの証人は「キリスト教撲滅運動」と題する書籍を発行し、証人たちに対する邪悪なナチの攻撃について、念入りな証拠を挙げながら説明し、ザクセンハウゼンとエステルウィーゲンにあった強制収容所の図も載せていた、と言っているではありませんか。
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- 「事実はありません」というだけの根拠は全く提示されていませんね。1938年? 問題の申し入れは1933年か1934年に行われたと見るべきでしょう。削除されたリンク先では1933年の「大会」を取り上げていますし、記事の方にあるリンクを見ると『1934年に政府へ手紙を出した』とありますしね。
- Initially, leaders of the Jehovah's Witnesses sought to find a way to work with the Nazi government. In October 1934, the leadership sent a letter to the Reich government, explaining the Witnesses' core beliefs and their commitment to political neutrality. The letter stated that Jehovah's Witnesses "have no interest in political affairs, but are wholly devoted to God's Kingdom under Christ His King."
- 1938年は既に撥ねつけられ、弾圧を受けていた頃でしょう。念の為に言っておきますが、論点は『エホバの証人が弾圧されたかどうか』ではなく『エホバの証人がナチスに協調的態度で臨んだかどうか』です。NiKe 09:03 2004年6月9日 (UTC)
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- エホバの証人が迫害を行っている国に手紙を書くことは良くあります。「できるなら、すべての人に対して平和を求めなさい」と聖書も勧めていますから。(ロマ12:18)しかし、それが協調関係であるとは言えません。
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- 相変わらず『事実ではない』という根拠になっていません。少なくとも『エホバの証人はナチスに申し出た』という主張が存在しているという事実を記事から削除するだけの根拠は無いですね。それとも、記事そのものに『エホバの証人はナチスに寛容な扱いを嘆願したという。また、当初はナチスの主張に反対や異議を唱えることもなかったらしい』とでも書き加える方がよろしいですか?NiKe 12:25 2004年6月9日 (UTC)
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- ですから、その主張は事実に基づいていないと何度も申し上げているのですが。和議を申し出たのではなく、ただ手紙を書き送っただけでしょう。少なくとも、この手紙から「協調関係」とは言えません。
- さらに決定的なのは、彼らがエホバの証人とは呼ばれず、ビーベル・フォルシェル(誠心聖書研究者)と呼ばれていたことです。これは、エホバの証人が聖書に熱心だと褒めた名前ではなく、エホバの証人を馬鹿にして彼らに付けた名前(蔑称)です。彼らは1931年以来、「エホバの証人」という名称しか受け入れていません。
[編集] カール・バルトの発言は?
上の方で出ている、この質問には答えが全く無いようですが。
- スイスの神学者カール・バルトは後にこう書いている。「エホバの証人が共産主義者と結託しているという非難は、不本意の、もしくは故意の誤解による以外考えられない」。
- これの出展は??
信憑性が無いのであれば、それこそ記事から削除しなければならないのでは。NiKe 12:28 2004年6月9日 (UTC)
- 執筆者に聞いたらどうですか?
- この記事の元と思われる英語版に尋ねてみました。Rantaro 14:34 2004年6月9日 (UTC)
[編集] 削除の検討
現在の記事は内容がまるでエホバの証人の宣伝のようですし、どこまでが事実なのか疑わしいと思います。また、わざわざ項目を立てておく意味が本当にあるのかどうかも疑問です。削除することも考えた方が良いのではないでしょうか?NiKe 12:54 2004年6月9日 (UTC)
- 勝手に話をすり替えてませんか?
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- 外部リンク1つ、文章1つで揺らぐような内容なんでしょう? 疑いたくもなります。NiKe 15:13 2004年6月9日 (UTC)
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- 自分の主義主張が通らなかったら削除するんですか。利己的ですね。
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- こういう話は機関紙に載せる内容だと思う、すくなくても百科事典に載せる必要性はない。
私も削除に賛成します。 この話題がどうしても必要ならば、ホロコーストかエホバの証人の項目において改めて吟味すればよいと考えます。―O-tsuka 2005年11月2日 (水) 16:28 (UTC)
- 歴史家ポール・ジョンソンも『キリスト教の二〇〇〇年』という本で史実だと言っています。また、『ホロコースト全史』、『ホロコースト大事典』、『ピンク・トライアングルの男たち』などの本でも史実として扱っています。(参考文献参照)削除は不当です。—以上の署名の無いコメントは、61.22.157.95(会話・履歴・whois)氏が[2006年4月8日 (土) 11:06]に投稿したものです。
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- ホロコーストのことであればホロコーストの方が適当でしょう。O^tsuka 2006年5月19日 (金) 11:40 (UTC)
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ところで、4月8日以降議論が止まっているようですが、私の方で統合作業をしてよろしいでしょうか。--6144 2006年5月18日 (木) 23:40 (UTC)typo--6144 2006年5月18日 (木) 23:41 (UTC)
- すいません、是非お願いしたいと思います。O^tsuka 2006年5月19日 (金) 11:40 (UTC)
え~と、そんなに統合したいのであれば統合すると良いと思いますよ。ただ、内容が信じられないから削除というのは論外で、内容の間違いは編集で対処すべし、というのが現在の共通認識のはずです。NiKeさんが意見表明された2004年当時はそうした共通認識がまだ存在しなかったので置いておくとして、これまでの行動からエホバの証人に対して悪感情を抱いているであろう事が明白なO^tsukaさんの意見だけを頼りに、削除・統合の検討をするのはいかがなものかと…。ホロコーストはすでに大きな記事(現時点で55KB)となっていますので、こちらに統合するとういう意見に賛成意見はあまり得られないと思います。エホバの証人への統合は、ノート:エホバの証人の過去の議論の流れに反しています。統合の議論をする前に、まずはそれら過去の議論に反証を示すべきかと思うのですが?。そして、O^tsukaさんはノートのこの内容、読んで知っていて然るべきとも思うのですが?(各アーカイブの投稿履歴を参照)。
- 悪感情の証拠:(参加初期の編集より)
- 無輸血治療 - 理由の明記なく文章を削除。削除された内容からして、悪感情を抱いていると考えないかぎり理解不能な行動。
- エホバの証人 - この記事に対する初めての加筆。その後の編集も、あくまで「カルト」という言葉にこだわっている様子が伺える。
- エホバの証人の教義 - 要約欄を見る限り、統合を実行した張本人であるはずだが、統合の事実はどこにも無く、単なる記事の抹消。
- 上記のエホバの証人の編集における要約欄ですが、第一次世界大戦当時は兵役拒否の教義は存在しませんでした。この当時、行動指針が明確でなかったために、ある者は「政府の命令に従わなければならないので軍務にも服すべきだが、クリスチャンは殺人を犯すべきではないから、銃を空に向かって撃つべきか?」と考えながら従軍し、別の者は「殺人を犯すべきではないから、兵役そのものを拒否すべきだ」と考え合衆国政府に投獄された、という記録が残っています。ラザフォードは2代目の会長であり、それ以前ということになると初代会長ということになりますが、初代会長は1916年に死亡、第一次世界大戦の終結が1918年ですので、明らかに間違っています。それを「はずです」という極めて曖昧な理由で強引に文章を変更していることになるのです。
そうすると、いったい誰がどの項目への統合に賛成しているというのでしょう?。Rigel 2006年6月18日 (日) 01:50 (UTC)
- 「ホロコーストの記事は既にサイズが大きくなっているので統合は難しい」のは確かにその通りかもしれませんが、統合の是非に私個人の悪感情なるものを持ち出されても無意味でしょう。
- 貴方が挙げられた個々の問題を議論することはこのノートの趣旨からはずれるので、以後は該当記事のノートでお願いしたいと思うのですが、簡潔に反論を述べさせていただくと、「無輸血治療」については医学的な記事から宗教色を拭った編集であり、その後削除した記述を復活させた編集者がいらっしゃらないということ、また「エホバの証人の教義」についてはノートでの合意に基づいた作業であったことから考えて、著しく不当な編集であったとは思いません。改善の余地はあるのかもしれませんが、それは気付いた方が編集していただければいいことだと思います。
- 兵役拒否についてですが、第二次世界大戦中に発表された見解とは「代替公務」に服することは神との関係が絶たれるというものであり[3]、またその教義も1996年には撤回され、代替公務は自由であるという元のラッセル時代の解釈に戻っています。すなわちその時代には代替公務を受け入れるか否かという見解が変わったのであって、兵役拒否自体の見解が変わったのではないのです。O^tsuka 2006年6月19日 (月) 17:26 (UTC)
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- あなたは要約欄に「兵役拒否は」と記述し、私は兵役拒否がラザフォード以前に存在しなかったことを具体的に説明しました。それがなぜ「代替公務」に変化するのでしょう?。また、あなたの弁明にあるように、「代替公務」に関する言及がラッセルの時代に実際になされていたと仮定するならば、そもそも上記のような混乱が起こる事はまず考えられないのです。それに、まず兵役拒否という問題があって、その後に代替公務(公共奉仕、社会奉仕と定義されるような活動)が問題解決のために用意されたと考えるべきであり、代替公務なるものがラッセルの時代に存在した、という前提を要するあなたの説明は整合性を欠いています。従って、あなたが示した引用元の解説が誤っていることは明らかなのであり、すると、あなたは自身の調査を元に編集したのではなく、他人の推論、それも正しいか誤っているかをあなた自身が判断できない事柄を、事実であると信じ込んで編集したことになりはしませんか?。
これに対する反論はないものと思っていますので、わざわざ議論の場所を移動するようなことはしませんでした。もし、さらなる反論があるのであれば、議論の移動をお願い致します。それと、私は Wikipedia におけるあなたのこれまでの地道な活動を評価しています(エホバの証人関連の編集を除いては)。どうか、暴走してあなた自身の名誉を傷つけることがないよう、自重した言動を望んでいます。Rigel 2006年6月20日 (火) 09:28 (UTC)
- あなたは要約欄に「兵役拒否は」と記述し、私は兵役拒否がラザフォード以前に存在しなかったことを具体的に説明しました。それがなぜ「代替公務」に変化するのでしょう?。また、あなたの弁明にあるように、「代替公務」に関する言及がラッセルの時代に実際になされていたと仮定するならば、そもそも上記のような混乱が起こる事はまず考えられないのです。それに、まず兵役拒否という問題があって、その後に代替公務(公共奉仕、社会奉仕と定義されるような活動)が問題解決のために用意されたと考えるべきであり、代替公務なるものがラッセルの時代に存在した、という前提を要するあなたの説明は整合性を欠いています。従って、あなたが示した引用元の解説が誤っていることは明らかなのであり、すると、あなたは自身の調査を元に編集したのではなく、他人の推論、それも正しいか誤っているかをあなた自身が判断できない事柄を、事実であると信じ込んで編集したことになりはしませんか?。
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- これに対する回答は、O^tsuka さんの会話ページにて行いました。Rigel 2006年7月8日 (土) 19:10 (UTC)
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- (補足)これ以降の議論はここでの議論も含め、ノート:エホバの証人にコピーしてあります。O^tsuka 2006年7月14日 (金) 18:19 (UTC)
2006年7月14日 (金) 18:16 の版(削除依頼が出される直前の版)を読みました。ナチス時代においてカトリック教会からは排斥対象であったエホバの証人がどうであったか、ということについては非常に面白く(ナチに従う方向であったのかあるいは単に弾圧されたのかということも含めて)、興味深いと思います。
しかしながら、独立の項目をたてることについては、なおかつ検証が不十分であることを鑑みると、いまだに定説や通説ができているとは言えない状況も含め、考慮するべきでしょう。(南京大虐殺などの項目については、「ある」「ない」で決定的ながらもそれらに関するいくつかの1次的または2次的資料があげられ、「ある」派と「ない」派のそれぞれの主流となる説が、学問的あるいは政治的?に形成されているのに比べこの項目はそういった資料に乏しいように感じます)。
すなわち、本項目は他の項目との統合を考えるべきではないでしょうか。エホバの証人自体の知名度からも、エホバの証人のホロコーストに関する事実からも、項目が分散するのは現段階では利用者にとっても好ましくないと思います。