キース・ジャレット
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キース・ジャレット(Keith Jarrett, 1945年5月8日 - )は、アメリカのジャズ・クラシックピアニスト、作曲家。
ジャズ・ピアニストとして広く認識されているが、クラシック等、ジャンルを超えた音楽表現を身上とする。演奏楽器もピアノにとどまらず、ソプラノ・サックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダーなど多岐にわたる。メロディーの美しさもさることながら、中腰の姿勢で、時折うめき声を出しながらピアノを弾く姿が印象的。
[編集] バイオグラフィ
1970年にマイルス・デイヴィス・グループにマイルスに請われてグループに参加。初期はチック・コリアとのツイン・キーボード制のなかで、主にオルガンを演奏した。チック・コリアが同バンド退団後はひとりでオルガンとエレクトリック・ピアノを担当し、バンド・サウンド決定の重要な担い手となった。当時のプレイが聴ける公式盤としては、「ライブ・イビル」、「アット・フィルモア」が有名。その後のアコースティックが主体の活動に無い、電気楽器でのプレイが聴かれる。1971年には同グループ在籍中のヨーロッパ・ツアーで当時新興レーベルだったECM(Edition For Contemporary Music)のオーナー、マンフレート・アイヒャー(Manfred Eicher)と出会う。その後、完全即興によるピアノ・ソロ・コンサートを数多く行い、ECMより一連のピアノ・ソロ作品をリリース。その高い完成度から名声を確立した。ソロ作品の多くはコンサート・ホールでの実況録音が多く、プログラムの一切無い完全即興によるテンションの高い神がかり的な演奏には定評がある。代表的なソロ作品に、「フェイシング・ユー」、「ケルン・コンサート」、「サンベア・コンサート」がある。ECMではピアノ・ソロやリーダー作のほか、1975年にケニー・ホイーラー、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットと録音した「ヌー・ハイ(Gnu High)」などがある。
1983年にゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットらと結成したトリオは、20年以上にわたって活動を続けているジャズ史上でも稀有なユニット。また、1970年代には2つのカルテットを率いていたが、いずれも解散。
1990年代後半から2000年頃は、病気のためにその活動を中断していた。(病名は慢性疲労症候群とされる)2000年より少しずつ活動を開始し、ソロや前述のトリオでの活動を継続しているが、全盛期のようなハイ・テンションな演奏は影をひそめており、ベース・ドラムとのコラボレーションに重きを置いた演奏となっている。
クラシック演奏に関しては、1980年代後半から1990年代にかけてバッハやヘンデルといったバロック期の作品や、モーツァルト、ショスタコーヴィチの作品を演奏した。この際の録音や演奏活動に使用したハープシコードやクラヴィコードは、復刻作品ではなく、日本の制作家高橋辰郎の独自の音響理論による楽器を、わざわざ江戸川区の工房を探し当てて発注したことでも知られる。
[編集] 主な活動ユニット
- キース・ジャレット・トリオ(スタンダーズ・トリオ)(1983年 -)
- ゲイリー・ピーコック - double bass
- ジャック・ディジョネット - drums
- アメリカン・カルテット(1971年 - 1976年)
- チャーリー・ヘイデン - bass
- ポール・モチアン - drums
- デューイ・レッドマン - tenor saxophone
- ヨーロピアン・カルテット(1974年 - 1979年)
- ヤン・ガルバレク - tenor saxophone、soprano saxophone
- パレ・ダニエルソン - double bass
- ヨン・クリステンセン - drums
[編集] 外部リンク
- キース・ジャレット (ユニバーサル・ミュージック・サイト内)
- Upcoming concerts and other information
- Keith Jarrett at Yahoo! Groups
- Jarrett on ECM
- Discography
- A small biography
- The Léonie Sonning Music Foundation (ドイツ語)
- 高橋ハープシコード&クラヴィコード
(英語版より流用)