クラウディオ・アラウ
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クラウディオ・アラウ( Claudio Arrau 1903年2月6日 - 1991年6月9日)は、南米チリ出身でアメリカを中心に活動した、20世紀を代表する巨匠的大ピアニスト。
ベートーベン、シューマンなどのドイツ系のピアニストとして世界的に有名だが、リストやショパンの演奏にも独自の境地を見せている。大柄で渋めの演奏が特徴で、抑制の効いた大人の世界は「噛めば噛むほど味が出る」と、遺された多くの録音を通じて多くのピアノファンを今なお魅了している。
アラウはチリの首都であるサンティアゴの400km南にある都市チリャンに、歯科医のカロス・アラウ(Carlos Arrau)とアマチュア・ピアニストのルクレチア・レオン(Lucrecia León)の息子として生まれた。
アラウは神童として知られ、5歳にしてコンサートを開催し、7歳でチリ政府の援助によってドイツ留学に送られた。ベルリンのシュテルン音楽院に入学した彼は、リストの高弟であるマルティン・クラウゼに師事。同じくクラウゼに師事したエドウィン・フィッシャー同様、リストの孫弟子にあたる。よってリストの解釈のひとつの完成型をアラウに見ることができると言ってもよいであろう。