ケイエスミラクル
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1988年3月16日 |
死没 | 1991年12月15日 |
父 | シュツットブラックホーク |
母 | レディベンドフェイジャー |
生産 | ツカオファーム |
生国 | アメリカ |
馬主 | 高田喜嘉 |
調教師 | 高橋成忠(栗東) |
競走成績 | 10戦5勝 |
獲得賞金 | 1億3422万6000円 |
ケイエスミラクルは、日本の競走馬。スプリンターズステークスで悲劇の死を遂げた、レコード連発の快速スプリンター。
[編集] 戦跡
日本で競走生活を送ったミスタープロスペクター系競走馬としては、最初期の一頭である。父はミスタープロスペクターの直仔、母父はネヴァーベンドという、後に数々の活躍馬を送り出した配合の外国産馬。しかし父はアメリカで一般競走を3勝しただけの下級競走馬で、後にも先にも本馬以外に活躍した産駒は無い。その上生まれつき日本脳炎に見舞われてもいた。競走馬としてデビューすること自体が奇跡であったが、見事に病気を克服してデビューすることになったという。そんな前歴と冠名で「ケイエスミラクル」と名づけられたという。購買価格は僅か3万ドルほどであった。
デビューは4歳(旧表記)の春、新潟競馬場の未出走戦。2着に終わるも、2週間後のレースで8馬身差の圧勝。連闘で臨んだ条件戦は2着ながら、休養後の札幌競馬場で条件戦を連勝。それぞれ4馬身差(このときレコード勝ち)と9馬身差をつけて古馬を圧倒する。続いて出走したセントウルステークスで初めて13着に惨敗してしまう。その後オープン特別のオパールステークスをレコード勝ちして、スワンステークスに出走する。ここではダイイチルビー、ダイタクヘリオス、バンブーメモリーといった実力馬がそろっている中で5番人気に支持され、ダイイチルビーをクビ差抑えきって重賞初勝利、生涯3回目のレコード勝ちとなる。
次に出走したマイルチャンピオンシップではダイタクヘリオスの会心の逃げの前に3着に敗れるが、スプリンターズステークス(当時は有馬記念の1週間前に行われていた)では見事1番人気に支持される。前半3ハロンを32秒2という、超のつくハイペースの中、ケイエスミラクルは最終コーナーを曲がったところで故障を発生する。左第一趾骨粉砕骨折という重症で、予後不良となってしまった。
結果的に、GIタイトルとは縁がなかったため、今日における知名度はあまり高くない。しかし、才気溢れるレースぶりのみならず、前述のような血統背景からも、その夭折が惜しまれる一頭である。
ケイエスミラクルの血統 (ミスタープロスペクター系/Nasrullah15×3=5.62%) | |||
父
Stutz Blackhawk 1977 鹿毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Sunny Morning 1965 鹿毛 |
Amber Morn | Ambiorix | |
Break o'Morn | |||
Lighter | Coastal Traffic | ||
Blue Denim | |||
母
*レディベンドフェイジャー Lady Bend Fager 1977 鹿毛 |
Never Bend 1960 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Lalun | Djeddah | ||
Be Faithful | |||
Princess Fager 1972 栗毛 |
Dr.Fager | Rough'n Tumble | |
Aspidistra | |||
Princess Roycraft | Royal Note | ||
Crafty Princess F-No.1 |
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