サルッツォ
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サルッツォ (Saluzzo) |
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国: | イタリア |
州: | ピエモンテ |
県: | クーネオ |
測地系: | 北緯: 44°39′0″ 東経: 7°29′0″ |
標高: | 海抜 395 m |
面積: | 75 km² |
人口: | 16,153 2004年12月31日 |
密度: | 209 人/km² |
分離集落: | Cervignasco, Via dei Romani |
隣接コムーネ: | カルデ、 カステッラール、 ラニャスコ、 マンタ、 モレッタ、 パーニョ、 レヴェッロ、 スカルナフィージ、 トッレ・サン・ジョルジョ |
CAP(郵便番号): | 12037 |
市外局番: | 0175 |
ISTATコード: | 004203 |
IDコード: | H727 |
住人の呼称: | saluzzesi |
守護聖人: | San Chiaffredo |
祝祭日: | 9月7日 |
公式サイト | |
サルッツォ(Saluzzo)は、人口16,153人のイタリア共和国ピエモンテ州クーネオ県のコムーネの一つである。
目次 |
[編集] 地理
サルッツォは、コーツィエ・アルプスの山モンヴィーゾの谷にある。
[編集] 歴史
候国は1142年に、ボニファーチオ・ディ・サヴォーナ(Bonifacio di Savona)の息子、マンフレードによって始まり、1548年にフランスが侵略し独立が終わった。 1601年のリヨン条約まで、サルッツォの領地はフランスとサヴォイア公国の間で領土紛争が存在し、 最終的には領主のカルロ・エマヌエーレ1世が手に入れる事となった。
サルッツォ出身の有名人には、シルヴィオ・ペッリーコ(Silvio Pellico)、ジャンバッティスタ・ボドーニ(Giambattista Bodoni)がいる。
[編集] 名所旧跡
サルッツォ大聖堂は、1491年から1501年に建設された。
先の尖った正面の門と内部には三つの身廊を持つ。
祭壇には16世紀のテラコッタ製の像と1511年のマエストロ(Maestro)の三幅対祭壇画がある。
サン・ジョヴァンニ教会にはゴシックの美しい正面と二連窓の鐘楼がある。 建設開始は1330年である。 教会の中は交差ヴォールトにつながる柱がある。 後陣は1504年で暗緑色の石で出来ている。 16世紀のカーザ・カヴァッサ(Casa Cavassa)は、今日、市立博物館になっていてシルヴィオ・ペッリーコの絵や家具などの遺物が置いてある。 トッレ・チヴィカ(torre civica)は1460年に建てられた。
[編集] コムーネの行政
- 代表(Sindaco): Paolo Allemano(2004年06月28日選出)
- コムーネの代表電話: 0175 211311
- コムーネのe-mail アドレス: info@comune.saluzzo.cn.it
- Fax 0175 211328
- 庁舎所在地 Via Macallè 9
- 気候区分
[編集] 写真集
[編集] 関連項目
- サルッツォ侯国
- サルッツォ侯国の君主一覧
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