サワーンワッタナー
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サワーンワッタナー(King Savang Vatthana, 1907年11月3日 - 1978年6月13日?)は、20世紀のラオス王国最後の国王である。
シーサワーンウォン国王の息子としてルアンパバーンで生まれ、1959年10月に父王の崩御に伴い即位したが、当時のラオスは左派・右派に分かれての内戦の最中であり、国内情勢が緊迫化していたため、正式な戴冠式は行われなかった。
その後、ラオス全土を掌握した左派のラオス愛国戦線(パテト・ラオ)は、1975年12月2日に開いた全国人民代表会議で王制の廃止とラオス人民民主共和国の成立を決議した。退位を促されたワッタナー国王は、国外脱出した王族の身の安全を保障することを条件としてこれに応じ、ここに600年続いたラオスの王制は終焉を迎えたのである。
退位後のワッタナー前国王はそのままルアンパバーンの王宮に留まり、新政府では大統領顧問(新政府の初代大統領に就任したのは王族出身のスパーヌウォンだった。)に就任したが、1977年にカムプイ前王妃、ウォンサワーン前皇太子と共に身柄を拘束され、ラオス北部ビエンサイの再教育キャンプに収容された。これは反体制勢力が、ワッタナー前国王を擁立して政権転覆を図っているとの情報があったためと言われている。前国王は1978年頃に極度の栄養失調のため死去したと言われているが、ラオス国内でこのことを話題にするのはタブー視されているという。
- ラオス王室代表者
- 第2代国王が兼任
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- 先代:
- 初代国王が兼任
- 次代:
- (スリャウォンサワーン)