サーアイヴァー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1965年5月5日 |
死没 | 1995年11月10日 |
父 | サーゲイロード |
母 | アッティカ |
生産 | Mill Ridge Farm |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | Raymond Guest |
調教師 | Vincent O'Brien(愛) |
競走成績 | 13戦8勝 |
獲得賞金 | 561,323ドル換算 116,819ポンド +876,100フラン +90,000ドル |
サーアイヴァー(Sir Ivor、1965年 - 1995年)は、アメリカ合衆国で生まれアイルランドで調教を受けた競走馬である。アイルランド大使で、アメリカ人実業家でもあるレイモンド・ゲストによって所有され、彼の祖父Sir Ivor Bestの名にちなみサーアイヴァーと名付けられた。
幼いころはひょろりとしてあまり強そうには見えなかったが、2歳を目前にアイルランドのヴィンセント・オブライエンの元へ送られ、そして最終的には軽快な動きを見せるまでに成長した。6月にカラー競馬場でデビュー。緒戦こそ負けてしまうが、レスター・ピゴットを背にナショナルステークスとグランクリテリウム(仏)に勝った。調教師であるヴィンセント・オブライエンはこの馬で翌年のクラシックを狙っていた。主戦騎手であるレスター・ピゴットは、他にペティンゴという有力馬の騎乗以来も抱えており、どちらでクラシックに挑むか迷う事になる。彼は最終的にサーアイヴァーを選択し2000ギニーに出走、そしてペティンゴを1馬身半差下して勝った。この勝利でヴィンセント・オブライエンは五大クラシック全制覇を成し遂げた事になる。続くエプソムダービーも鋭い末脚を発揮しコナートを1馬身半差交わして二冠を達成した。アイリッシュダービーは2着、エクリプスステークスは3着に負け春シーズンを終えている。
しばしの休養を経てサーアイヴァー陣営は目標をセントレジャーステークスではなく凱旋門賞へと合わせ、凱旋門賞ではヴェイグリーノーブルの2着に敗れた。しかし、チャンピオンステークス1着をステップに挑んだワシントンDCインターナショナルに優勝し引退レースを飾った。
引退後はクレイボーンファームで種牡馬となる。94頭のステークスウィナーを輩出するなど種牡馬としても成功した。1995年に天寿を全う、30歳であった。
[編集] 競走成績
1967年(4戦3勝)
- ナショナルステークス、グランクリテリウム
1968年(9戦5勝)
- 2000ギニー、エプソムダービー、チャンピオンステークス、ワシントンDCインターナショナル、2000ギニートライアル、2着 - 凱旋門賞、アイリッシュダービー、3着 - エクリプスステークス
[編集] 主な産駒
- イヴァンジカ(仏二冠牝馬、凱旋門賞)
- サートリストラム(豪大種牡馬)
- ゴデチア(英二冠牝馬)
- オプティミスティックギャル(米二冠牝馬) …他
[編集] 血統表
サーアイヴァーの血統 (ネアルコ系/Plucky Liege5 x 5=6.25% Pharos 5 x 5=6.25%(父系)) | |||
父
Sir Gaylord 1959 鹿毛 |
Turn-to 1951 鹿毛 |
Royal Charger | Nearco |
Sun Princess | |||
Source Sucree | Admiral Drake | ||
Lavendula | |||
Somethingroyal 1952 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | |||
Imperatrice | Caruso | ||
Cinquepace | |||
母
Attica 1953 栗毛 |
Mr.Trouble 1947 栗毛 |
Mahmoud | Blenheim |
Mah Mahal | |||
Motto | Sir Gallahad | ||
Maxima | |||
Athenia 1943 鹿毛 |
Pharamond | Phalaris | |
Selene | |||
Salaminia | Man o'War | ||
Alcibiades F-No.8-g |
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