シリウスシンボリ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1982年3月26日 |
死没 | 生存中 |
父 | モガミ |
母 | スイートエプソム |
生産 | シンボリ牧場 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 和田共弘 |
調教師 | 二本柳俊夫 →畠山重則 →二本柳俊夫 →J・ウィンター →P.L.ビアンコーヌ →F・パルメル →二本柳俊夫 |
競走成績 | 12戦4勝(中央) 14戦0勝(海外) |
獲得賞金 | 1億4310万0300円 +229,000フラン +16,500マルク |
シリウスシンボリは日本の競走馬。1985年の東京優駿(日本ダービー)が主な勝ち鞍。1985年から1987年にかけて約2年間ヨーロッパの競走に出走した。
[編集] 競走成績
1984年9月16日の中山の新馬戦1着でデビュー。次走は斜行失格、3走目は2着と敗れるが、府中3歳ステークス、若葉賞と連勝した。皐月賞は馬主の和田共弘と調教師の二本柳俊夫の対立(シリウスシンボリ移籍事件、詳細は二本柳俊夫を参照)の影響で不出走となり、若葉賞の次走は東京優駿(日本ダービー)に出走し、皐月賞を5馬身差で優勝したミホシンザンが骨折で回避したこともあり1番人気に推された。レースは荒れた重馬場の中、スダホークを3馬身差で下し東京優駿(日本ダービー)優勝馬になった。
東京優駿(日本ダービー)後はシンボリルドルフに帯同して海外に遠征する予定であったが、シンボリルドルフは故障のため遠征中止となったためにシリウスシンボリ単独で渡欧した。日本に戻ったのは1987年の秋になったため同世代の二冠馬ミホシンザンとは一度も対戦していない。海外では14走してバーデン大賞(GI)4着、フォワ賞(GIII)2着やロワイヤルオーク賞(GI)3着等の成績を残し、シーシック賞では1番人気に推されたが3着と勝利することは出来なかった。
帰国後は日本のレースに出走するが、勝利を挙げることはできなかった。なお、1988年の毎日王冠ではゲート入り前にレジェンドテイオーとダイナアクトレスを蹴りレジェンドテイオーを発走除外にする事件を起こし、レース後に厩務員同士の喧嘩にまで発展した。そしてシリウスシンボリはオグリキャップの2着と好走した。次走の天皇賞(秋)7着後に骨折が判明、引退した。
引退後は種牡馬入りしたのだが、気性難が災いしたのか京都4歳特別2着のオーシャンカレント、北斗盃優勝のベストファーザーが出た程度で活躍馬は出せなかった。既に種牡馬登録は抹消されており、現在は沖田牧場で余生を過ごしている。
[編集] 血統表
シリウスシンボリの血統 (ノーザンダンサー系/Native Dancer5×4=9.38%) | |||
父
*モガミ Mogami 1976 青鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
*ノーラック No Luck 1968 黒鹿毛 |
Lucky Debonair | Vertex | |
Fresh as Fresh | |||
No Teasing | Palestinian | ||
No Fidding | |||
母
スイートエプソム 1976 鹿毛 |
*パーソロン Partholon 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Calonice | |||
*シレトコ Shiretoko 1970 栗毛 |
*Takawalk | Native Dancer | |
Ampola | |||
Pochette | Worden | ||
Diplomatic Bag F-No.13-e |