シルビア・ファリナ・エリア
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シルビア・ファリナ・エリア(Silvia Farina Elia, 1972年4月27日 - )は、イタリア・ミラノ出身の女子プロテニス選手。長年にわたり、イタリアの女子テニス界を代表してきた選手である。既婚選手として、自分の姓「ファリナ」(Farina)と夫の姓「エリア」(Elia)を併用している。シングルス自己最高ランキングは11位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス9勝を挙げた。「大器晩成」の最たる例のような選手だった。
シルビア・ファリナの両親は保険外交員で、彼女は母親の勧めで10歳からテニスを始めた。1988年にプロ入り。1993年から女子国別対抗戦・フェドカップのイタリア代表選手となる。1999年9月22日にコーチのフランチェスコ・エリア(Francesco Elia)と結婚。2001年5月にフランス・ストラスブールの大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で、プロ入り13年目にして初のシングルス優勝を成し遂げた。それまでの間、彼女は7度もWTAツアー決勝戦で厚い壁に阻まれ続け、1998年には4度も準優勝止まりがあった。2001年1月にもオーストラリア・ゴールドコーストの大会の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに敗れ、シングルスのキャリアで7度目の準優勝の苦杯をなめていた。それだけに、ストラスブールの大会の決勝戦でドイツのアンケ・フーバーを 7-5, 0-6, 6-4 で破り、29歳にしてシングルス初優勝を果たしたファリナ・エリアの感慨は特別なものがあった。この初優勝で波に乗った彼女は、続く全仏オープンでも自身初の4大大会4回戦進出を果たした。この大会では3人のイタリア人選手が女子シングルスの4回戦に勝ち残り、ファリナ・エリアとリタ・グランデ、フランチェスカ・スキアボーネが勝ち進んだが、これはイタリアのテニス界を通じて史上初の偉業だった。それから2003年まで、ファリナ・エリアはストラスブールの大会で3連覇を達成した。ファリナ・エリアの4大大会自己最高成績は、2003年のウィンブルドンベスト8進出である。この準々決勝ではキム・クライシュテルスに 7-5, 0-6, 1-6 の逆転で敗れた。2004年度のツアーでは2度の準優勝がある。
晩成型の選手だったファリナ・エリアもついに力尽きる時が訪れ、2005年10月に33歳で正式に現役引退を表明した。
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カテゴリ: イタリアのテニス選手 | 1972年生