ジム・ロス
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ジム・ロス | |
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プロフィール | |
リングネーム | ジム・ロス |
本名 | 同じ |
ニックネーム | GOD ALL JR |
誕生日 | 1953年1月3日 |
出身地 | オクラホマ州タルサ |
所属 | WWE副社長 |
ジム・ロス(Jim Ross、1953年1月3日 - )はアメリカのプロレス団体WWEの経営者、プロレス解説者、プロレスラーである(但し試合はあくまでもストーリーに応じてたまに行う程度)。WWEの経営戦略部門の副社長を務め、2005年10月まではWWEの看板番組の1つであるRAWの解説者を務めていた。WWEを代表するプロレス解説者である。カウボーイ・ハットと眼鏡がトレードマークである。オクラホマ州タルサ出身。
[編集] 経歴
学生時代はオクラホマ州立大学アナウンス部に在籍していた。
1980年代初頭にNWAにてリング・アナウンサー、インタビュアーを始めたのがプロレス業界での仕事のスタートである。1986年にはNWAのナンバーワーンリングアナになっていた。
NWAからWCWへ活動の場が移っても引き続き活躍していた。1993年にWCW上層部との対立をおこしてたところ、ビンス・マクマホンによってWWFにスカウトされた。
レッスルマニア9にてWWF登場を果たしたロスは、ジェリー・"ザ・キング"・ローラーとのコンビでWWFのTV番組の解説者としての地位を築く。WWFではレスラーを統括する部門の副社長にも就任する。レスラーからの信頼は高く、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンは親友であると公言している。
アナウンサーでありながらレスラーとの抗争も数多く繰り広げている。特にエリック・ビショフがWWEに登場した2002年以降は、それに関連した抗争で何度か試合を行っている。試合を行う際は、ジェリー・ローラーとタッグにて試合を行うことが多い。
2005年2月4日に、さいたまスーパーアリーナで開催されたRAWテレビショー日本公演で、アナウンサーとして初来日。実況を務めた。
2005年に入り、腸の手術による番組の長期離脱の必要性が発生した。同年10月の特番であるWWE・ホームカミングにて、オースチンがマクマホン一家にスタナーを繰り出すのを止めなかったことを理由にストーリー上解雇される(実際にはWWE副社長に留まり続けている)。それに端を発し、オースチンがジム・ロス復帰を賭けてジョナサン・コーチマンとPPVタブー・チューズデイで試合をする予定であったが、オースチンがPPV直前にWWEを離脱し、ストーリーは中断することとなった。
手術後の2006年3月18日、サタデー・ナイト・メイン・イベントにて解説者としての復帰を果たした。しかしながらフルタイムでの復帰ではなく、PPVなどを中心としたパートタイムでの活動となっている。2006年4月にフルタイムで解説者として復帰している。
[編集] その他
料理が得意で、ロスが開発したバーベキューソースも販売されている。また料理本も2冊出版している。本の表紙にはWWEのスーパースターが登場しており、1冊目にはザ・ロックとストーン・コールド・スティーブ・オースチン、2冊目にはディーヴァのステイシー・キーブラーとトリッシュ・ストラタスらがジム・ロスと共に登場している。