デブラ・ミセリー
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デブラ・アン・ミセリー(Debra Ann Miceli、1963年12月9日 - )はイタリアの元女子プロレスラー。ミラノ出身。但しギミック上では実際に在住経験があるミネソタ州ミネアポリス出身とされていたこともある。そのレスラーとしてのキャリアにおいて、リングネーム「アランドラ・ブレイズ」、「メデューサ」として知られる。母親はポタワトミ族の出身という説もあるが、これがギミックなのか事実なのかは定かではない。
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[編集] 経歴
ミネアポリスのロビンズデイル高校を出た後、同地のエディー・シャーキーのジムでプロレスを学び、1987年にAWAにてデビュー。シャーキー・ジムの同窓生にスコット・ノートン、ロード・ウォリアーズがいる。またロビンズデイル高校の同窓生にはリック・ルード、トム・ジンク、カート・ヘニングがいる。
1989年から1991年にかけて来日し、全日本女子プロレスを主戦場に活動する。
1991年にWCWへ登場。ポール・E率いるデンジャラス・アライアンスの一員として、の登場であった。
1993年にWWF(現WWE)へ移籍。アランドラ・ブレイズのリングネームで活動を開始した。WWFではブル中野と抗争を繰り広げるなど女子戦線で活躍したが、WWF女子王座戴冠中の1995年にWCWへ再移籍した。WCW再登場からはメデューサのリングネームで活動することとなるが、WCW再登場時にWWF女子王座をゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを敢行した(このパフォーマンスは後のモントリオール事件の伏線ともなっている。又、この出来事で、全日本女子プロレスの選手がWWFに定期的に登場するプランもあったが、立ち消えになってしまう)。
WCWでは主要な女子レスラーの一人として活動し、北斗晶らとも抗争を繰り広げた。またWCWパワープラントで教官も勤め、ステイシー・キーブラー、トリー・ウィルソンらがプロレスデビューするためのトレーニングを行った。
2001年のWCW崩壊後は前述の経緯もありWWFへ移籍はできず、そのままレスラーを廃業している。現在はフロリダに住んでモンスタートラック競技に取り組み、2005年3月に女子選手として初めてMonster Jam World Finalsで優勝した。しかし2006年3月、モンスタートラック競技のLive Nationチームから解雇された。
[編集] 日本での活動
1989年にクラッシュギャルズの長与千種のライバルとして来日。長与の引退式が行われた横浜アリーナにて開催された『レッスル・マリンピアード89』にてライオネス飛鳥と統一グローバル王座決定戦を行い破れるが、その後日本に定着。ライオネス飛鳥引退後は、全日本女子プロレス初の外国人エースとして活躍する(ただ、それまで外国人レスラーは「お客さん」であり、団体自体が認める外国人レスラーのエースという存在が初めてだった事もあり、選手間の軋轢は相当あった様子)。最初はベビーフェイスとして活動していたが、後にアジャ・コングを中心とするユニット『ジャングル・ジャック(略称J・J)』の一員としてヒールに転向し、短い期間だったが共に活躍する。その後、全日本女子プロレスとの契約を終えアメリカに帰国しWCWおよびWWF(現WWE)に登場する。その間1度だけだが、ジャパン女子プロレスのシリーズに参戦、当時まだ団体対抗戦は夢だった時代、「全日本女子プロレスで活躍したメデューサがジャパン女子プロレスのリングに上がる」という出来事にファンは注目した。その後、全日本女子プロレスの東京ドーム興行に『アランドラ・ブレイズ』として久し振りに参戦し、ブル中野とWWF女子王座を賭けて対戦するが、現時点ではそれが最後の来日であり、それ以降は日本のどの団体にも出場していない。
[編集] タイトル歴
- AWA
- AWA女子王座 : 1回
- WWF
- WWF女子王座 : 3回
- IWA
- IWA女子王座 : 1回
[編集] 外部リンク
カテゴリ: イタリアのプロレスラー | 女子プロレスラー | 1963年生 | WWE