ナイロビ
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ナイロビは、ケニア共和国の首都で最大の都市。人口は約200万人。赤道に近いが標高約1600mに位置し気候は比較的冷涼である。主要な言語は、スワヒリ語と英語。ナイロビ(Nairobi)という名前は、マサイ語で「冷たい水」を意味する Ewaso Nyirobi に由来する。
東アフリカ、あるいは広くサハラ以南のアフリカ(サブサハラ)の中心的都市として、国連環境計画(UNEP)はじめ多くの国際機関が本部あるいはアフリカの代表部などを置く。日本の諸組織も、ナイロビか南アフリカのヨハネスブルグにその機能をおくことが多い。
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[編集] 歴史
ナイロビは1899年にモンバサとウガンダの間に建設されていたウガンダ鉄道の給水および補修の拠点として建設された。疫病の大流行と町の大火事の後、20世紀初頭に再建された。その後、移住者が増え、1907年にイギリスの保護領であった東アフリカの首都、1963年には独立したケニア共和国の首都となった。
1998年8月、ナイロビにあるアメリカ大使館がオサマ・ビンラディンの国際反米テロ組織アルカイダにより爆破された。
[編集] 地理
アフリカ大陸の東、南緯1度16分、東経30度53分に位置し、面積はおよそ150km²。
[編集] 地域区分
[編集] 交通
[編集] 空路
外国からの窓口としてジョモ・ケニヤッタ国際空港があるが、ジェット機の時代になる前はウィルソン空港(現在は国内線用空港)が使用されていた。1930年代から1940年代にかけて、イギリス南岸のサウザンプトンから南アフリカのケープタウンに向かうイギリスの旅客機や郵便機の中継地であった。このルートでは、イギリスからケニア西部の港湾都市キスムまでは飛行艇が使用され、そこから南では飛行場の航空機が使用された。ジョモ・ケニヤッタ国際空港は、現在ではアフリカの拠点的空港として各地に路線が開かれている。
[編集] 鉄道・バス
市内の公共交通は会社組織のバス、個人経営が多いマタトゥと呼ばれる小型バスが担っている。鉄道は近郊路線としての機能はない。
[編集] 道路
日本と同じく自動車は左側通行。 モンバサからウガンダ国境へ抜ける国道が幹線で、市内を貫いている。中心部では片側2車線である。
市内中心部の道路はほぼ舗装されているが、舗装の痛みの激しい場所もある。 信号機は数が少なく、交差点の交通の整理はイギリス式にラウンドアバウトでなされている。
[編集] 観光名所
市内
- ナイロビ国立公園
- ケニア国立博物館とヘビ公園
- ボーマスオブケニア
- カレンブリクセン博物館
- キリン公園
周辺部
- ナイバシャ湖とヘルズ・ゲート国立公園
- マガディ湖
- ンゴングヒルズ