ネルチンスク条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネルチンスク条約は、1689年にロシア帝国と大清帝国との間で結ばれた両国の境界線などについて定めた条約。清とヨーロッパ国家との間に結ばれた初めての対等な条約で、その内容は満洲(現・中国東北部)での国境を黒龍江・外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定めるというもの。
17世紀中頃からロシア人が黒竜江(アルグン川)より南下(後の南下政策)するようになった。このため清がたびたび討伐を行った。清は逃亡者の引き渡しをロシアに求め、さらにロシア人の撤退を求めた。しかし、ロシアはこれを拒否した。
清が討伐軍を本格的に動かし始めたため、ロシアはゴロビーンを特使として派遣し、1689年にネルチンスクで清の索額図(ソンゴトウ)と交渉を開始した。ロシアは清との交易を望み、清はモンゴルのジュンガルを孤立させることを望んだため、利害関係が一致し、交渉が成立した。
内容は、次の通りである。
- 国境をアルグン川・ゴルビツァ川と外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定める。
- ウディ川と外興安嶺の間は未確定部分とする。
- アルグン川以南からロシア人は退去する。
- 不法越境を禁止する。
- 旅券をもつものは交易を許される。
対等の条約ではあったが清にとって有利なものとなった。清は、ロシア関係の事務をモンゴルや内陸アジアの朝貢を扱う理藩院で行うなど、ロシアを朝貢国としてみなしていた。
その後、1858年のアイグン条約で黒竜江が両国の境界線となり、1860年の北京条約でネルチンスク条約は廃棄された。