ファイサル2世 (イラク王)
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ファイサル2世((アラビア語: الملك فيصل الثاني) , Faisal II , 1935年5月2日 - 1958年7月14日)はイラク最後の国王。
ファイサルは第2代イラク国王ガージーと王妃アーリヤの息子として生まれた。1939年、父が交通事故で急逝した事によりわずか3歳でイラク国王に即位する。幼帝の即位に伴い、ガージー国王のいとこでファイサルの母の兄弟すなわちファイサルにとってはおじにあたる26歳のアブドゥル=イラーフが摂政となる。
ファイサルははとこにあたるヨルダンのフセイン国王と共に渡英、ハロー校に学んだ。1953年、成年に達したファイサルは形式上国家元首としての全権を獲得したにも関わらず、かつての摂政に実権を握られたままだった。
1958年2月1日、イラクの隣国シリアとナセル率いるエジプトが連合してアラブ連合共和国が成立する。これによってナセルの脅威が間近にせまる事になった2つのハシミテ王国がアラブ連合に類似したブロックを設立することによってアラブ連合共和国に対抗しようという構想が現実化する。シリア・エジプトのアラブ連合共和国成立のちょうど2週間後にあたる2月14日に、イラクとヨルダンの両国でアラブ同盟を形成する事に合意した。イラク・ヨルダンのアラブ連盟の盟主にはファイサルがおさまる事になる。
ところがこの連合はわずか5ヵ月で終焉を迎えた。この年の夏、アラブ連合の脅威に直面するヨルダンからの要請でイラク軍部隊をヨルダン国境に向かわせる事になった。イラクの自由将校団を率いるカセム准将はこれをクーデターを行う好機ととらえた。イラク東部の部隊がヨルダン国境に向かうには首都バグダード近郊を通過しなければならなかったからだ。クーデター部隊は、バグダードを占領し、7月14日に共和国成立を宣言、ファイサル2世と家族、多くの王族たちは占拠された宮殿から表に現れたその場でクーデター部隊に射殺された。