フランコ・ドナトーニ
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フランコ・ドナトーニ(Franco Donatoni、1927年6月9日 - 2000年8月17日)は、イタリアの現代音楽の作曲家。
目次 |
[編集] 略歴
1927年6月9日にヴェローナに生まれたイタリアの作曲家。ミラノ音楽院とボローニャ音楽院で作曲をエットーレ・デスデリに学ぶ。若いときはガソリン・スタンドのホース持ちなどを長年経験して苦労した修行時代がある。後年ミラノ音楽院の作曲家教授を務めイタリアの後進の育成に多大な影響を及ぼす。
[編集] 作風
[編集] 第一期 (-1966)
デビュー作のファゴット協奏曲は「バルトークの亜流」と笑われるなど、「黒星スタート」のような印象で始まった彼の創作は、決して順風満帆とはいかなかった。何を書いても前衛イディオムの影響が巧く消化しきれず、同年代の作曲家から遅れをとった。この時期の終わりごろにジョン・ケージに心酔し、キュビズム風の図形楽譜の作品をいくつか書く。このあたりの作品の断片が、ジョン・ケージ編集の「記譜法」に収められることとなった。
ドライな音色への嗜好はチェンバロ独奏もしくは数十センチの物差しを弦上に置いたピアノの為の「BABAI」に良く現れている。
[編集] 第二期(1967-1976)
ようやく書法が安定し、創作の原点となる「模倣とオリジナル」の境界線をうろつく作品へ着手することになる。シュトックハウゼンやシェーンベルクの既存の作品から素材を抽出し、際限なく変奏していき原型を留めなくしてしまう同人誌的センスの作品などが典型例である。演奏の難易度は作品の質が上がるにつれて増してゆき、多くの演奏家から悲鳴が上がるのもこの頃である。この時期の最高傑作にモダン・チェンバロとオーケストラの為の「自画像」が挙げられる。
困難な自作が初演一回きりで終わってしまう、または前衛イディオムを用いる必然性、また既存の伝統文化からの乖離への疑問が第二期の終わりごろに見られ、「自分は何も生成しない」オートマティズムへの欲求がより顕著になる。第二期までの書き方では素材の持続の必然性が得られず、無機的な印象が強い。前述の「自画像」では、いくつかのパートに後年の有機的書法の萌芽が感じられる。
第二期はたったの10年程でしかないが、豪勢な書法が第一期や第三期の密度にほぼ匹敵するため、あえてこのままの区分のほうが彼の全容を掴み易い。
[編集] 第三期(1977-2000)
第二期で得た複雑な書法から生み出される音楽言語に限界を感じ、10楽器の為の「Spiri(1977)」以降は線的な素材を数的秩序で配置する「パネル技法」を創作の中心に据えた。この技法で演奏家に受け入れられやすい譜面面と世界中で講演できる作曲技法を手に入れた反面、毎回の作品がルーティンワーク化し「惰性でもすぐ書ける」という批判を生んだ。実際ピアノ独奏の為の「フランソワーズ変奏曲(1984-1997)」は主題のない49の変奏から成るが、最初の7変奏までの豊かな霊感は49変奏時には見事に消え去ってしまっている。これは長年の愛人でもあったマリア・イザベラ・デ・カルリの初演の演奏の印象に負うところが大きい。そのような例もある一方で弦楽四重奏のための「笑わないハツカネズミ(1988)」のように曲尾まで集中力が続く力作も見られ、現在もこの時期の作品は賛否が分かれている。
しかしながら、この時期には世界中から多くの弟子と信奉者に恵まれ、最も人生で幸福な時期を過ごしたのは間違いない。この時期の弟子で最も成功した者にファウスト・ロミテッリ、杉山洋一らがおり、後者は遺作となったオーケストラ作品「Prom(2000)」の補筆完成版を作成した。最も有名な「信者」にサンドロ・ゴルリを挙げることも出来よう。
この時期には甘党であったことが災いして、糖尿病の発作に悩まされていた。このことすらもネタにしてしまい、オペラ「アルフレッド・アルフレッド(1998)」を作ってしまう辺りに、自虐的な快感を追及する反イタリア性が認められる。
[編集] 総論
ドナトーニは生涯を通じて、「模倣とオリジナル」の境界線を問い続けた前衛の闘士として生きた。にもかかわらず、CDリリースは第三期に過剰に依存しており、全作品を鳥瞰できる環境が未だに存在していない。
[編集] 受容
ソロアルバムのCDリリースが増え始めた当初ですら第一期の作品は完全無視され、第二期の代表作から第三期という形でリリースされることが多かった。それが後に第二期すら完全無視するほうが採算が取りやすいためか、現在は第三期のみのリリースが圧倒的に多い。
この点ストラディヴァリウスからのCDリリースは第一期から網羅することを心がけており、ドナトーニ入門へ最適のリファレンスディスクである。誠意のある人々やかつて関りのあった演奏家達が名を連ねている。