ベルグマンMP18短機関銃
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正式名称 | Bergmann Maschinenpistole MP18/I |
全長 | 818mm |
銃身長 | 201mm |
重量 | 4.35kg |
口径 | 9mm×19 |
装弾数 | 32発 |
発射速度 | 350~450発/分 |
製造国 | ドイツ |
製造 | テオドール・ベルグマン社 |
ベルグマンMP18は、第一次世界大戦において初めて実戦使用された短機関銃の名称である。
目次 |
[編集] 開発経緯
第一次世界大戦ではさまざまな新兵器がデビューし、戦線に投入されていった。その中でも特に注目を浴びたのが自動式ライフルと、拳銃弾を連射できる短機関銃である。野戦においては射程が長く威力の大きい小銃弾は有効であったが、狭い塹壕内での遭遇戦では取り回しの効く短機関銃は有効であり、これに唯一注目したのがドイツ軍であった。(同時期の米軍は銃剣付きの塹壕用ショットガンを採用している。)これ以前にもイタリア軍のビラール・ペロサM1915短機関銃が開発されているが、連装化されニ脚が付くなど軽機関銃に近い設計思想であり、実質的な実用サブマシンガン第一号はMP18であると言える。
[編集] 開発
軍部から正式に短機関銃の開発以来を受けたベルクマン武器製造社はさっそく短機関銃の開発を進めた。テオドール・ベルグマンとルイス・シュマイザー(ヒューゴ・シュマイザーの父)及びオットー・ブラウスベッターは協力し1917年に試作型短機関銃を開発、翌年には制式化に成功した。ベルグマンMP18短機関銃の誕生である。銃自体を設計したのはシュマイザーだが製造を担当したのはベルクマン社であった。そのため正式名称もベルグマンMP18/I短機関銃となった。外見は小銃を短くし銃身に放熱ジャケットを付けた形で、弾倉(マガジン)は横から装填する箱型弾倉または砲兵用ルガーP08ピストルと共通のドラム弾倉(スネイルマガジン)を採用、作動方式はブローバック・タイプでオープン・ボルト方式を採用。射撃はフルオートでしか撃つことが出来なかったが、これは運用上問題はなかった。
[編集] 長所・短所
[編集] 長所
- 当時唯一の短機関銃、接近しての塹壕戦には有効だった
[編集] 短所
- ドラム弾倉は装弾が難しく、銃のバランスが悪くなる
[編集] その後
大戦中に急遽開発されたMP18/Iは早速、西部戦線で使用するために訓練が始まった。当時、連合軍側にアメリカが参戦した事により西部戦線でのこう着状態のバランスが崩れていた。そして1918年3月21日、帝政ドイツ軍による大攻勢が始まったのである。短機関銃もこのとき戦線に投入され攻勢の一翼を担った。大量の手榴弾と短機関銃を装備し、接近戦では恐るべき火力を発揮する突撃部隊(Stoßtrupp)は連合軍の脅威となった。しかし戦線から60km突出したところで連合軍の反撃にあい大攻勢は失敗に終わった。期待された短機関銃だが、軍は作戦が失敗したことからこれを「役立たず」と決め付けてしまった。(当時の軍によるこの結論は間違いで、失敗の原因は兵士の機動力の欠如だった。)戦後、MP18/I短機関銃の威力を評価していた連合軍側は、ベルサイユ条約によりドイツ軍の短機関銃の生産と装備を禁止、在庫はすべて警察に引き渡されてしまったのである。この後、MP18/Iはドイツ再軍備に合わせ改良型MP28/IIとして復活することとなる。