ヨゼフ・ティソ
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ヨゼフ・ティソ(Jozef Tiso, 1887年10月13日~1947年4月18日)は、チェコスロバキア及びスロバキアの政治家、聖職者。
カトリック教会の聖職者教育を受けた後、1924年から1945年まで、西部スロバキアのバーノウツェ・ナド・ベブラボウ教区神父を務めた。聖職者の傍ら、戦間期のチェコスロバキアでカトリックに基づく保守主義とスロバキアの民族自決を主張したスロバキア人民党の政治家として頭角を現した。1930年人民党副党首となり、1938年8月にスロバキア民族主義者で人民党党首のアンドレイ・フリンカの死後、党首に就任した。同年9月にミュンヘン協定が締結されると、ティソは、スロバキア自治政府首班に就任し、1939年3月14日にスロバキアが名目的に独立国となると首相に就任し、同年10月26日大統領に就任した。第二次世界大戦が勃発すると、枢軸国側に立って、独ソ戦に参戦。ユダヤ系住民の強制収容所移送(約7万人のユダヤ人が死亡している)、1944年スロバキア民族蜂起の鎮圧を実行した。
1945年ソ連軍の侵攻から逃れ、ティソの率いるスロバキア政府は、オーストリアに疎開した。敗戦後、5月南バイエルンの修道院に潜伏するが、6月にアメリカ軍によって逮捕・拘留され、10月末チェコスロバキアに引き渡された。1946年12月から翌1947年4月までブラチスラヴァで開催された「国民裁判」で、ティソは主犯として戦争犯罪を問われ、死刑判決を受けた。4月18日に絞首刑に処された。
ティソに対する評価は、スロバキアの歴史上の重要な争点の一つである。
2001年4月18日には、ティソを追悼する集会がブラチスラヴァで、開催されている。
[編集] 外部リンク
- Online exhibit from the Holocaust World Resource Centre: In the Spirit of Christianity