リュシアン・ローラン
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リュシアン・ローラン(Lucien Laurent、1907年12月10日 - 2005年4月11日)は、フランスのヴァル=ド=マルヌ県サン=モール=デ=フォッセ出身のサッカー選手。FIFAワールドカップで最初のゴールを挙げたことで有名。
[編集] 経歴
1921年から1930年までセミプロチームのCAパリでプレイ、1930年からは彼が働くプジョーのワークスチームであったソショーへと移籍。 兄のジャン(本大会試合出場なし)と共に1930年第1回W杯ウルグアイ大会のフランス代表メンバーに選出されるが、アマチュア選手であったため、フランスサッカー連盟からは基本的な手当を受け取ったのみである。
1930年7月13日、開幕戦となったフランス対メキシコ戦の前半19分にローランは歴史的なワールドカップ初ゴールを挙げた。フランスはこの試合に4-1で勝利したが、アルゼンチンおよびチリとの試合を落としてグループリーグで敗退。ローラン自身は2戦目のアルゼンチンとの試合中に受けた負傷のため、3戦目は欠場した。
1934年W杯イタリア大会のフランス代表にもメンバー入りしたが、負傷のため出場機会はなかった。フランス代表通算10試合出場2得点。
第二次世界大戦勃発後は軍隊に招集されたが、ドイツ軍に捕らわれて3年間の捕虜生活を送ることになる。1943年に解放されてからはベサンソンで1946年までプレイして引退。後にトレーナーおよびユース監督を務めた。
1930年W杯フランス代表メンバー唯一の生き残りとして1998年W杯フランス大会でのフランス代表の優勝を見届け、7年後の2005年に死去。享年97歳。
[編集] 所属クラブ
- 1921-1930 : CAパリ
- 1930-1932 : FCソショー
- 1932-1933 : クラブ・フランソワ
- 1933-1934 : CAパリ
- 1934-1935 : FCミュルーズ
- 1935-1936 : FCソショー
- 1936-1937 : スタッド・レンヌ
- 1937-1939 : RCストラスブール
- 1939-1943 : トゥールーズFC
- 1943-1946 : ベサンソンRC
[編集] 外部リンク
- CBC.ca - ローランに関する記事(英語)