ロシア空挺軍
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ロシア空挺軍(ロシアくうていぐん、Воздушно-десантные войска;略称ВДВ)とは、ロシア連邦軍の独立兵科であり、機動軍の主力を構成する。兵員3万5千人。漸次、契約制(志願制)に移行しつつある。
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[編集] 歴史
[編集] 創設期
空挺軍の歴史は、ヴォロネジ近郊のモスクワ軍管区空軍演習において、12名から成る空挺部隊がパラシュートで降下した1930年8月2日にその起源を遡る。最初の空挺部隊となったのは、1931年にレニングラード軍管区で編成された164名から成る航空強襲支隊だった。
1932年、ソ連革命軍事会議決定に基づき、大規模な空挺部隊の創設が決定され、1933年3月までに、白ロシア、ウクライナ、モスクワ及び沿ヴォルガ軍管区に1個航空強襲支隊を編成することが計画された。
1941年夏までに、各1万人の5個空挺軍団の兵員充足が終了した。ソ・フィン戦争(1939~1940年)時、第201、第204及び第214空挺旅団が地上部隊として実戦に投入された。
[編集] 第2次世界大戦
独ソ戦開始と共に、5個空挺軍団全ては、ソ連全土において戦闘に投入された。モスクワ郊外での逆襲中、ドイツのヴャゼムスク-ルジェフ-ユフノフスク集団の包囲及び撃破における西部及びカリーニングラード戦線部隊への協力のために、1942年初め、第4空挺軍団の空挺降下を伴うヴャゼムスク空挺作戦が行われた。これは、独ソ戦中最大の空挺作戦だった。ドイツ軍後方には、計1万人の空挺兵が降下した。空挺軍団の部隊は、敵後方に突破したP.A.ベーロフの騎兵隊と協力して、1942年6月まで戦闘行動を行った。戦闘は、ほぼ6ヶ月間に渡った。
1942年夏、スターリングラード周辺の戦況が悪化したため、大規模な戦略予備が必要とされた。そのため、最高司令部大本営は、10個空挺軍団を狙撃師団に再編成し、それを都市防衛に振り向けた。
1945年8月、4千人以上の空挺兵が、ハルビン、吉林、旅順及び南樺太(南サハリン)の飛行場に着陸し、日本軍守備隊の行動を麻痺させた。
[編集] 戦後
[編集] 組織
- 第7親衛空挺師団:ノヴォロシスク
- 第76親衛空挺師団:プスコフ
- 第98親衛空挺師団:イワノヴォ
- 第106親衛空挺師団:ツーラ
- 第31独立親衛空挺旅団:ウリヤノフスク
- 第45独立親衛特殊任務連隊:クビンカ。スペツナズ
- 第38独立通信連隊:メドヴェージ・オーゼラ
- 第242空挺軍教育センター:オムスク
- 第266独立輸送飛行隊
- 第58独立ヘリ飛行隊:リャザン
- リャザン空挺軍大学:リャザン
[編集] 装備
[編集] 自動小銃
- AKS-47
- AKMS
- AKS-74
- AKS-74U
- AK-74M
[編集] 装甲車両
[編集] 落下傘
- D-6:個人用。2型と4型がある。
- P-7:機材用
- PRSM-915:ロケット式。BMD-1用
- PRSM-925:ロケット式。BMD-2用
- PRSM-916:ロケット式。BMD-3、BTR-D用
- PBS-915:BMD-1用
[編集] 歴代司令官
職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
司令官 | ワシーリー・グラズノフ | 中将 | 1941.9-1943.6 | ||
司令官 | アレクサンドル・カピトーヒン | 少将 | 1943.6-1944.8 | ||
司令官 | イワン・ザテヴァヒン | 中将 | 1944.8-1946.1 | ||
司令官 | ワシーリー・グラゴレフ | 大将 | 1946.1-1947.10 | ||
司令官 | アレクサンドル・カザンキン | 中将 | 1947.10-1948.12 | ||
司令官 | セルゲイ・ルデンコ | 航空元帥 | 1948.12-1950.1 | ||
司令官 | アレクサンドル・カザンキン | 中将 | 1950.1-1950.3 | ||
司令官 | アレクサンドル・ゴルバトフ | 上級大将 | 1950.3-1954 | ||
司令官 | ワシーリー・マルゲロフ | 上級大将 | 1954-1959.3 | ||
司令官 | イワン・トゥタリノフ | 大将 | 1959.3-1961.7 | ||
司令官 | ワシーリー・マルゲロフ | 上級大将 | 1961.7-1979.1 | ||
司令官 | ドミトリー・スホルコフ | 上級大将 | 1978.12-1987.7 | ||
司令官 | ニコライ・カリーニン | 大将 | 1987.8-1989.1 | ||
司令官 | ウラジスラフ・アチャロフ | 大将 | 1989.1-1990.12 | ||
司令官 | パーヴェル・グラチョフ | 上級大将 | 1991.1-1996.8 | リャザン高等空挺指揮学校 | |
司令官 | エフゲニー・ポドコルジン | 大将 | 1991.8-1996.12 | ||
司令官 | ゲオルギー・シュパク | 大将 | 1996.12-2003.9 | ||
司令官 | アレクサンドル・コルマコフ | 大将 | 2003.9- | リャザン高等空挺指揮学校 | 極東軍管区副司令官 |
[編集] 外部リンク
- ロシア連邦国防省公式サイト(ロシア語、英語)
- 第76親衛空挺師団公式サイト(ロシア語)
- 第100親衛空挺師団博物館(ロシア語、解散)
- 空挺軍博物館「空の親衛隊」(ロシア語)
- ロシア空挺軍非公式サイト(ロシア語)