久尓辛王
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久尓辛王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 구이신왕 |
漢字: | 久尓辛王 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
くにしんおう |
片仮名: (現地語読み仮名): |
クイシンワン |
ラテン文字転写: | Guisin-wang |
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久尓辛王(くにしんおう、韓国語ではクイシンワン 生年不詳 - 427年)は百済王(在位420年-427年)。腆支王の長男。日本書紀では久爾辛と書く。
- 420年、腆支王の死去に伴い即位。
- 427年、死去。
日本書紀によれば、応神天皇25年に即位。王が若かったので木羅斤資(もくらこんし)の子木満致(もくまんち)が国政を行ったとある。この木満致を蘇我氏の祖先蘇我満智とする説があるが類推の域を出ない。また、木羅斤資を百済の将とするが、倭国が派遣した将軍(倭人)とも任那系とも考えられ不明な点が多い。