京極持高
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京極持高(きょうごくもちたか 1401年(応永8年)? - 1439年1月29日(永享11年1月14日))は、守護大名である京極氏の室町時代中期の当主。京極持光とも名乗ったとされる。
守護大名である京極高光の子として生まれ、幼名は吉童子と称した。
1413年(応永20年)に父が亡くなり出雲、隠岐、飛騨の守護職を継ぐ。
1434年(永享6年)に、将軍の足利義教から、反抗する延暦寺への攻撃を命じられ、六角満綱と共に山門を囲み降伏させる。さらに近江国内に多くあった延暦寺領の差し押さえを命じらている。
1439年(永享11年)に子を残さぬまま亡くなった。享年39とされる。
後を継いだのは薩戎記によれば叔父の高数とされ、西讃府史によれば弟の持清とされる。
- 参考史料
- 西讃府史、薩戎記