京極高矩
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京極高矩(きょうごく たかのり、1718年5月13日(享保3年4月14日) - 1763年10月30日(宝暦13年9月24日))は、外様大名である京極氏の江戸時代中期の当主。丸亀藩4代藩主。
[編集] 生涯
1718年(享保3年)に讃岐丸亀藩主であった京極氏当主の高或と正室の間に生まれ、幼名は縫殿助、元服後は高定と称したが、後に高矩と名を改めた。
1724年(享保9年)に父の死により家督を継ぐ。
1730年(享保16年)に従五位下佐渡守に任ぜられ元服する。
1763年(宝暦13年)に46歳で亡くなり、大機院殿直翁道載大居士との法名を贈られる。
松平信祝の娘である得寿子を正室としたが子は無く、側室の久我子との間にもうけた高中を嫡子とした。 他の側室との間に設けた銕子は板倉氏へ、熊子は遠山友清へとそれぞれ嫁いだ。
[編集] 参考文献
- 西讃府史