伊達慶邦
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伊達 慶邦(だて よしくに、1825年10月17日(文政8年9月6日) - 1874年(明治7年)7月12日)は、仙台藩第13代藩主。伊達氏第29代当主。父は第11代藩主・伊達斉義(慶邦は次男)。
1841年、第12代藩主・伊達斉邦が25歳で夭折した。慶邦には兄がいたが、この兄も早くに早世していたため、家督を継いで第13代藩主に就任したのである。官位は従四位下、権中将、陸奥守。
慶邦は実質的な最後の仙台藩主で、1868年に東北諸藩で成立した奥羽列藩同盟の盟主となった。しかし慶邦自身が優柔不断な性格のため、味方の諸軍の統率がうまくいかず、おまけに同盟の結束は弱かったため、九条道孝率いる薩長軍に大敗を喫し、謹慎を申し渡された。このとき、「竹に雀(伊達氏の家紋)を袋に入れて後でおいらのものにする」と嘲笑されたという。
同年、四男の伊達宗基に家督を譲って隠退し、1874年に50歳で死去。子宝祈願のため、東鳴子温泉に後室と共に湯治に訪れたことがあるという。
慶邦は優柔不断な人物と言われているが、彼自身の性格よりも、伊達氏がすでに武門として弱体化していたことが原因だったのかもしれない。歴代藩主は若死にが多く、初代の伊達政宗の頃と比べて、この頃の伊達氏ではすっかり文弱傾向にあったのである。
[編集] 系譜
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陸奥仙台藩主(松平陸奥守家)
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