佐伯千仭
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佐伯 千仭(さえき ちひろ、男性、1907年 -2006年9月1日 )は、日本の刑法学者。立命館大学名誉教授、弁護士。熊本県生まれ。
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[編集] 略歴
1930年、京都大学法学部卒業後、助手、助教授となる。1933年の滝川事件の際に辞職し京都大学を離れ、立命館大学教授に就任。1934年に京都大学法学部助教授に復帰し、1941年に教授。1946年に京都大学を追放され、1947年から弁護士として活動を開始した。「極東国際軍事裁判」をはじめ、「松川事件」、「東京中郵郵便法違反事件」、「東京都教組地公法違反事件」など戦後史に残る事件に関わる一方で、日本学術会議会員、法制審議会委員などを歴任した。2006年9月1日、98歳で逝去。
[編集] 学説と思想
近代派の宮本英脩の弟子だが、師と異なり古典派に立つ。構成要件論や可罰的違法性論、拡張的共犯論などで名高い。また、日本における陪審制度の研究のほか、熱心な死刑廃止論者としても知られており、日本を代表する刑法学者の一人であった。
[編集] 滝川事件と佐伯千仭
- 滝川事件当時京大法学部助教授だった佐伯は、文部省による滝川幸辰の休職処分に抗議して辞職、立命館大学法学部(教授)に転じた。しかし残留した法学部教官の説得に応じ、翌1934年、京大に復帰し助教授に再任されている。佐伯ら「復帰組」教官は世論の厳しい批判を受け、佐伯もまた「立命に対しては本当に申し訳ないことになってしまった」と後日述懐している。彼らの復帰は「滝川ら辞任組が復帰できる状況になった時にくさびになるような人間がいなければ困る」という「残留組」教官の言い分に抗し得なかったからだとされる。
- その後1941年教授に昇任した佐伯は、第二次世界大戦終結とともに黒田覚(法学部長)ら他の復帰組教官とともに滝川の復帰工作を開始し実現させた。この際、佐伯は鳥養利三郎京大総長とともに、「大学自治を滝川事件以前の状態に復帰する」旨の総長・文部省の合意文書草案を作成している。
- しかし京大法学部再建のため全権を委任されて復帰した滝川は、戦争中の佐伯の著作の国家主義的内容を問題にして佐伯を公職追放とした(これと前後して他の復帰組教官も京大を去っている)。これら一連の事態の背景には復帰組に対する滝川の個人的感情があったという見方もある。
[編集] 主な著作
- 『ドイツにおける刑法改正論』(1962年、有斐閣)
- 『犯罪と刑罰 佐伯千仭博士還暦祝賀』(上)(下)(1968年、有斐閣)
- 『刑法改正の総括的批判』(1975年、日本評論社)
- 『刑事訴訟の理論と現実』(1979年、有斐閣)
- 『刑法講義総論』(四訂版)(1984年、有斐閣)
- 『刑法における期待可能性の思想』(増補版)(1985年、有斐閣)
- 『共犯理論の源流』(1987年、成文堂)
- 『死刑廃止を求める 法セミセレクション』(団藤重光、平場安治との共編)(1994年、日本評論社)
- 『刑事法と人権感覚 -ひとつの回顧と展望』(1994年、法律文化社)
- 『陪審裁判の復活』(1997年、第一法規出版)
- 『刑法における違法性の理論』(1974年、有斐閣)
- 『新・生きている刑事訴訟法 -佐伯千仭先生卆寿祝賀論文集』(刑事訴訟法研究会佐伯先生卆寿祝賀論文集編集委員会)(1997年、成文堂)
- 『戦争と犯罪社会学』(1946年、有斐閣)
- 『総合判例研究叢書刑法(22)期待可能性』(米田泰邦との共著)(1964年、有斐閣)
- 『法曹と人権感覚』(1970年、法律文化社)
- 『刑事裁判と人権』(1957年、法律文化社)
- 『生きている刑事訴訟法』(編著)(1965年、日本評論社)
[編集] 語録
「理論の世界には疑うことの許されない権威はない」(刑事法講座第2巻309頁)
[編集] 関連リンク
[編集] 関連書籍
- 松尾尊兊 『滝川事件』 岩波現代文庫、2005年 ISBN 4006001363