佐藤真一
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男子 野球 | ||
銅 | 1992 | 野球 |
佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は日本の元プロ野球選手。北海道出身。ポジションは外野手。右投げ右打ち。ノンプロたくぎん、バルセルナオリンピック日本代表を経てプロ入り。実働13年。40歳を迎えるまで現役選手を続けた。
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[編集] 来歴・人物
28歳で入団した福岡ダイエーホークス在籍時には、背番号7を与えられ期待されるも控えに甘んじる。しかし、当時の根本陸夫監督が、4番を打っていた秋山幸二が負傷欠場した際、他の選手の打順を繰り上げたりせずに佐藤を4番で起用した、ということから、打撃センスを見出されていたと思われる。
ヤクルトスワローズに移籍後も、野村克也監督時には守備堅め中心の起用だったが、若松勉監督のもと99年は、シーズン途中6月からシュアな打撃で3番に定着。113試合に出場し、規定打席未到達ながら打率.341と打撃の才能を開花。25試合連続安打は現在もスワローズのチーム記録である。 晩年も代打の切り札的存在としてパワーある打撃、驚異的な代打成功率など、その持ち味を発揮した。
フルシーズンの活躍といった目覚しい活躍はなかったものの、早々と引退したり自由契約という形で選手生命を絶つ人間が多い中、2005年40歳まで現役を務めた。 見た目、生涯成績とも総じて目立つところない選手であったが、玄人好みの代打屋として若松監督のみならず、ファンからも信頼された。 若手選手からの人望も厚く、2006年から古田敦也選手兼任監督のもと、スワローズのコーチに就任している。
なお、生え抜き選手・有名選手以外では珍しく、引退セレモニーも行われている。(現役最終打席も代打で出場。あわや本塁打というライトフェンス直撃の二塁打を放つ)
また学生時代は、常に学年でトップクラスの成績。更に野球部の中心選手で「文武両道」。東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞。
[編集] 略歴
- 東海大四高から東海大を経て、たくぎんに入社。
- 1992年 バルセロナオリンピックで全日本の3番を打ち、銅メダル獲得に貢献。
- 1993年 ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。背番号は7番。
- 1996年 トレードにより、ヤクルトスワローズに移籍。背番号は00番。
- 1999年 規定打席未満ながら打率.341をマーク、25試合連続安打の球団新記録も達成。
- 2000年 背番号を8番に変更。
- 2005年 10月11日対横浜ベイスターズ戦を引退試合として現役引退。
- 2006年 ヤクルト一軍守備走塁コーチに就任。背番号は82。
[編集] 通算成績
- 629試合 .261 1440打数 376安打 36本塁打 155打点 25盗塁