備前国
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備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陽道に位置する。現在の岡山県の東南部に香川県小豆郡と直島諸島、兵庫県赤穂市の一部(福浦)を加えた地域にあたるが、成立時はこれより広かった。延喜式での格は上国、近国。
藤原宮木簡に、吉備道前国と表記。
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[編集] 沿革
吉備国が7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割されて成立された。分割後の一時期、吉備道に属す一国だったと推定する説もある。この時の備前国は、後の美作国の領域と、小豆島、直島諸島を含んでいた。
和銅6年 (713年) 4月3日に、北部の6郡を割いて美作国が設けられた。
明治時代初期になってから廃藩置県後の都道府県整理時に、小豆郡と直島諸島を香川県に移した。また、福浦は地元住民の要望で1963年に兵庫県赤穂市に編入された。
[編集] 歴史
平地に恵まれ、治水や水運に手頃な大きさの川が多かったので、古代から農業の適地であった。古墳時代からの鉄産地であり、塩田作りもまた古い。さらに瀬戸内海の面した海上交通の便のおかげで、経済的に豊かであった。面積は大きくないが、律令制では上国と位置づけられた。
平安時代から鎌倉時代には荘園が数多く設けられた。平安時代から、優れた刀工が集まり、長船派、一文字派など様々な流派が鍛えた刀は、備前物と呼ばれて重んじられた。やはり平安時代から始まって後々まで全国に流通した商品に、備前焼がある。当時の備前の中心となった町は、福岡であった。
室町時代には播磨国を本拠とする赤松氏を守護にいただくようになった。赤松氏の力が衰えると、山名氏の勢力が伸び、両者の戦いの中でしだいに国人層が成長した。戦国時代には守護代の浦上氏が主家の赤松氏の勢力を締め出して備前国を支配した。戦国時代末期には浦上氏の家臣宇喜多直家が主家を凌駕する力をつけ、ついには浦上氏を追い出して、備前国に美作国と備中国の一部も加えた戦国大名となった。これ以後、直家が居城にした岡山が備前国の中心になった。
直家の死後、後を継いだ宇喜多秀家が関が原の戦いで敗れたため、宇喜多氏の領国はなくなった。秀家の後に岡山城に入った小早川秀秋が後嗣を持たずになくなると、幕府は備前国を池田輝政の次男忠継に与えた。後に岡山には池田の本家が入り、岡山藩は幕末まで備前国一円と周辺(時期により変動)を領国とした。江戸時代の備前では綿の作付けが広がった。以前から進んでいた児島と本州本土との間の海の干拓は、江戸時代にいっそう進み、児島と本土が地続きになった。
幕府調査による人口は、文政5年 (1822年) が31万8203人であった。明治政府の明治5年 (1872年) の調査による人口は、33万1878人であった。
[編集] 国府・一宮など
国府は上道郡にあった。現在の岡山市と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。他にも瀬戸内市や赤磐市にも国府が置かれた時期があったとされている。
延喜式神名帳には大社1座1社・小社25座20社の計26座21社が記載されている。唯一の大社は邑久郡の安仁神社(岡山市西大寺)で、名神大社に列し、当初はこちらが備前国一宮であった。中世に備中国の吉備津宮(現 吉備津神社)から分立して備前国の吉備津宮(現 吉備津彦神社、岡山市一宮)が創建されると、一宮を吉備津宮に譲り安仁神社は二宮となった。他に、式内小社石上布都魂神社(赤磐郡吉井町)も一宮を主張している。 総社は総社宮(岡山市祇園)である。 国分寺は赤磐市和田にあった。国分尼寺も赤磐市辺りにあったのではないかとされている。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
[編集] 室町幕府
- 1336年~1352年 - 松田盛朝
- 1353年~1362年 - 赤松則祐
- 1362年~1363年 - 松田信重
- 1363年~1371年 - 赤松則祐
- 1371年~1427年 - 赤松義則
- 1427年 - 赤松持貞
- 1427年~1441年 - 赤松満祐
- 1441年~1466年 - 山名教之
- 1466年~1467年 - 山名成清
- 1467年~1484年 - 赤松政則
- 1484年 - 赤松澄則
- 1484年~1496年 - 赤松政則
- 1496年~1521年 - 赤松義村
- 1521年~? - 赤松晴政
- 1552年~1561年 - 尼子晴久
[編集] 国司
[編集] 備前守
- 藤原公季 - 967年(康保4年)任官。
- 藤原行成 - 997年(長徳3年)任官。
- 平正盛
- 甘利虎泰
- 大熊朝秀
- 京極高長 - 丹後峰山藩の第5代藩主。
- 京極高久 - 丹後峰山藩の第6代藩主。
- 京極高倍 - 丹後峰山藩の第8代藩主。
- 池田章政 - 備前岡山藩の第10代藩主。
[編集] 備前介
- 藤原子高
- 源師俊 - 1124年任官。
- 平清宗 - 1178年任官。