古鷹 (重巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1922年11月17日 |
進水: | 1925年2月25日 |
就役: | 1926年3月31日 |
その後: | |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:7,950t |
全長: | 176.8m |
全幅: | 15.8m |
吃水: | |
機関: | ギヤードタービン4基4軸、102,000馬力 |
最大速: | 34.5ノット |
航続距離: | 14ノットで7,000浬 |
兵員: | |
兵装: | 20cm50口径単装砲6基(20.3cm50口径連装砲3基)他 |
装甲: | 水線76mm、甲板36mm |
航空機: |
古鷹(ふるたか)は、日本海軍の重巡洋艦で、古鷹型重巡洋艦の1番艦。三菱重工業長崎造船所にて起工。
列強の15cm砲搭載軽巡洋艦を凌駕する巡洋艦として、20cm砲6門を搭載し相応の防御力を有した8,000t級巡洋艦として1923年度の計画で建造された。(起工は1922年暮。)その背景には、日本海軍の巡洋艦の主力である5,500t型巡洋艦が仮想敵であるアメリカ海軍のオマハ級軽巡洋艦に比べ大きく劣っていた事が挙げられる。
設計者は八八艦隊計画で有名な平賀譲造船官。同氏が先に設計した、実験艦としての性格が強かった夕張を拡大・改良したものである。
単装の20cm砲(8インチ(20.3cm)ではなく20cm)を前甲板と後甲板の中心線上に3基ずつ並べ、煙突を巨大化し、航行性を高めるために波型の甲板を採用した事に特徴がある。なお、この砲は準砲塔式とも言える人力装填のものを採用しており、竣工時の古鷹型巡洋艦ではこの人力装填による給弾の遅れが問題となった。
同型の加古と共に1936~39年の改装で主砲を20.3cm連装砲3基に変更し、艦橋装置の近代化や、水雷兵装の新式化が行われている。砲撃力、速力、水雷戦闘能力共に太平洋戦争開戦時の水準を満たした強力な中型巡洋艦となった。上記の通り当初はオマハ型を凌駕する軽巡洋艦として計画されたが、ワシントン軍縮条約によって備砲が8インチの艦は排水量に関わりなく重巡洋艦とされてしまった。排水量ではなく備砲の大きさでカテゴリーが決められたのは、古鷹型をターゲットにした足枷という説が有力である。ただし、この条項は後に最上型軽巡洋艦の建造に逆利用されることとなった。
古鷹型の設計を基に、主砲を連装砲3基に変更したものが青葉型であり、青葉、衣笠の2隻も古鷹型に含める場合もある。
1942年8月の第一次ソロモン海戦では第八艦隊に所属し、敵重巡四隻を撃沈している。その帰途僚艦加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃を受け沈没した。
その後1942年10月12日のサボ島沖海戦で、艦隊旗艦であった青葉が敵艦隊のレーダー射撃を受け大破し、煙幕を張って避退。青葉の後方を進んでいた古鷹が今度は敵の標的となり敵の砲弾が次々と命中。この攻撃により魚雷が誘爆し、大火災を起こしてしまった。しかし、なおも古鷹は砲撃を継続し、米巡洋艦アトランタ(USS Atlanta, CL-51)に損害を与えた。その後、古鷹はしばらく海上に浮かんでいたが、午前0:28ついに沈没した。生存者は513名。
[編集] 同型艦
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の重巡洋艦 |
太平洋戦争 |
古鷹型:加古 | 古鷹 青葉型:青葉 | 衣笠 |
妙高型:妙高 | 那智 | 足柄 | 羽黒 |
高雄型:高雄 | 愛宕 | 摩耶 | 鳥海 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
利根型:利根 | 筑摩 鈴谷改型:伊吹 | 301号艦 |
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