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嘉手納飛行場(かでなひこうじょう)は、沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町にまたがる在日米空軍(米第5空軍)の飛行場・基地。嘉手納空軍基地(かでなくうぐんきち)、米空軍嘉手納基地(べいくうぐんかでなきち)、あるいは単に嘉手納基地(かでなきち)と呼ばれることが多いが、日本の公的資料では「嘉手納飛行場」と呼称されている。総面積は、約19.95km²。4,000m級の滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。スペースシャトルの緊急着陸地に指定されている(アメリカ軍の専用施設で機密保持が図れることと、低緯度に位置していることが理由)。ごくまれに、那覇空港周辺が、悪天候などの理由で、民間旅客機が一時的に嘉手納飛行場に着陸する事がある。しかし、その時は乗客は機内から出ることはできず、天候の回復や燃料の補給を待って那覇空港へ向けて再び離陸する。
[編集] 航空管制
CLR |
123.300 |
235.000 |
|
GND |
118.500 |
275.800 |
TWR |
126.200 |
236.600 |
315.800 |
APP/DEP(北方面) |
119.100 |
335.800 |
|
APP/DEP(南方面) |
126.500 |
258.300 |
18 WG COMD POST |
311.000 |
355.200 |
AIRLIFT COMD POST |
128.000 |
349.400 |
PTD |
131.400 |
266.000 |
BASE OPS |
266.000 |
|
MET |
344.600 |
|
ATIS |
124.200 |
280.500 |
- 管制は、米空軍(第5空軍)が担当
なお、沖縄島及びその周辺の空域管制は国土交通省麾下ではなく、基地内にある米空軍の「オキナワアプローチコントロール(通称「嘉手納ラプコン」)」による。近い将来、管制担当は国土交通省へ移管される予定であり、現在、同省所属の航空管制官が移管に向けて訓練中である。
[編集] 航空灯台
局名 |
種別 |
識別信号 |
周波数 |
運用時間 |
嘉手納 |
VOR |
KAD |
112.000 |
24時間 |
TACAN |
- |
1018.000 |
- 保守は、米空軍が担当
[編集] 所在部隊
- F-15C/DやKC-135(空中給油機)・E-3AWACS機などを保有。在日米空軍の主力部隊。救難飛行隊もあり、救難ヘリコプター、HH-60を使用している。
- C-130輸送機を改造したMC-130H/Pなどを保有。
- 偵察飛行隊。RC-135を使用。
[編集] 地理
[編集] 沿革
- 1944年(昭和19年)9月:旧日本陸軍航空隊の中飛行場として開設される。
- 1945年(昭和20年):嘉手納飛行場、キャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域が使用開始。
- 1945年(昭和20年)4月:沖縄本島に上陸した米軍に占領される。整備拡張が行われ、同年6月には全長2,250mの滑走路が完成。
- 1967年(昭和42年)5月:4,000m級の滑走路2本が完成。
- 1968年(昭和43年)11月19日:B-52爆撃機墜落事故。
- 1972年(昭和47年)5月15日:沖縄の復帰に伴い施設・区域が提供される(このときキャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域は嘉手納飛行場に統合)。
- 1987年(昭和62年)10月:基地内大学への県民の就学受入開始。
- 1999年(平成11年)6月14日:AV-8BハリアーV/STOL型戦闘機墜落事故発生。
- 1999年(平成11年)12月27日:SACOにおいて合意のあった遮音壁(長さ2.3km 高さ5m)完成。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク