坊西浩嗣
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坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。福岡ダイエーホークスで捕手として在籍した。
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[編集] 来歴・人物
岡山南高等学校時代は、4番・捕手として、1986年春のセンバツベスト4進出の原動力となる。社会人時代は三菱重工三原(オリックス、巨人などで活躍した野村貴仁と同期)に所属し、1988年都市対抗野球に出場。
ドラフト外でダイエーに入団した後は、徐々に力をつけるも吉永幸一郎、城島健司の存在で出場機会に恵まれず、次第に2番手捕手としてブルペンを主に仕事場にしていた。しかし貴重な左の代打の切り札として、ダイエーの1999年、2000年のリーグ2連覇に貢献した。特に、2000年に城島が負傷により戦列を離れていた間には捕手として城島の代役を務め、城島復帰後もシーズン終盤の天王山と位置づけられた西武戦でダメ押し本塁打を放つなど、チームの主力選手として印象に残る活躍を見せた。
2003年に現役を引退した後、プロ野球マスターズリーグ福岡ドンタクズの選手として、04-05年シーズンの首位打者となった(打率.550)。2005年には、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスのコーチを務めている。また福岡のラジオ局CROSS FMの日曜19:00の信川スポーツでコメンテーターを務めているほか、福岡県久留米市のコミュニティFM・ドリームスエフエムでも自身の番組を持っている。
[編集] 略歴
- 身長・体重:1m84cm、85kg
- 投打:右/左
- 出身地:岡山県
- 血液型:B型
- 球歴・入団経緯:岡山南高-三菱重工三原-福岡ダイエーホークス(1991年~2003年)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1990年(ドラフト外)
[編集] 通算成績
- 361試合 打率.208(500-104) 3本塁打 51打点 四死球33