埼玉県立川越高等学校
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埼玉県立川越高等学校(さいたまけんりつかわごえこうとうがっこう)は、埼玉県川越市にある男子校の高等学校(定時制は共学)。通称は「川高」(かわたか/かわこう)。
埼玉県立川越高等学校 | |
過去の名称 | 埼玉県第三尋常中学校 埼玉県第三中学校 埼玉県立川越中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
設立年月日 | 1899年(明治32年)4月 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制 定時制 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒350-0053 |
埼玉県川越市郭町2-6 | |
外部リンク | 埼玉県立川越高等学校 |
目次 |
[編集] 概要
旧制川越中学校を母体としており、女子校の川越女子高校とともに、埼玉県の県立高校としては埼玉県立浦和高等学校に次ぐ進学校・名門校として知られており、県西部地区の最難関校である。実際この学校へ入学することを目指し、遠方からも続々と受験生が舞い込んでくる。平成18年度スーパーサイエンスハイスクール指定校で、研究テーマは「知の融合」である。
校風は、私服での通学が認められていることもあり、非常に自由である。また、生徒たちのポリシーは「本気の遊び心」であり、校内は常に活気に満ち、勉強だけでなく部活動や文化祭にも情熱を傾ける生徒が多い。
2006年度現在、一学年の人数は360人ほどである(平成18年度入学生は1クラス少なく、320名ほど。19年度からは再び360名に戻る予定)。進学実績は優秀であり、例年、東大・東工大・一橋大には計30名以上、早慶にはのべ150名以上が合格する県内トップクラスの進学校である。特に、早大への合格者数は全国の高校の中でもトップクラスである。2004年度の東大合格者は8人、2005年度は9人であり、2006年度も東大2人、東工大14人、一橋大8人、早大127人など、健闘している。ちなみに、東大への最大合格者数は21人である(1986年)。また、早大への最大合格者数は191人である(1993年)。
現役合格率は年によって変動しているが、ここ数年は50~60%ほどである。進学校としては決して高くない数字だが、大半の現役生が受験校を難関大学に絞り、中堅以下の大学をあまり受験しないためにこのような結果となっている。さらに、現役合格しても、よりハイレベルな大学を目指して入学を辞退する生徒が多数いるため、最終的には、多くの卒業生が浪人の道を選んでいる。現役「進学」率が50%未満になる年も少なくない。
最寄駅は、西武新宿線本川越駅徒歩20分、東武東上線川越駅徒歩25分である。駅に自転車を置いて通う通称「駅チャリ」が通学手段の主流となっている。しかし、実際には校則で禁止されており、「駅チャリ」が発見されると、自転車が鎖でつながれてしまうということも多々ある。また、生徒指導部の先生に謝罪に向かうと反省文を書かされ、一定の期間、毎朝自転車置き場の整理をさせられる。
なお、川越市内には川越市立川越高等学校(旧川越商業高等学校)という似た名前の学校も存在する。
[編集] 生徒憲章
1969年、いわゆる70年安保の社会潮流を背景として、生徒有志によって従来の「生徒心得」を見直そうとする動きが起こり、これがきっかけとなって翌1970年に生徒憲章が制定された。以来、集会への参加やサークル結成の自由、掲示・印刷物の発行等の表現の自由、各自の自由意志に基づく服装(私服校)などを保障されている。
[編集] 学校生活
[編集] 授業
近年、生徒の大学受験のためには、志望する反対の領域にある分野の科目を早々と切り捨てて教育を行う傾向が高まる中で、文系・理系の知識や論理、発想をクロスオーバーする知の膂力を育てるという目的から幅広い教育を行っている。
学習進度は速い。英語では、長期休暇にサイドリーダーが配られることもある。定期試験はかなり難解で、平均点は30~40点前後になる。学期末に配られる通知表ではABCDEの段階評定がなされる。
また、授業時間は70分と長い。従来以上の年間取得単位数を確保しながら、休日や行事日、放課後の部活動の時間を犠牲にしない70分授業を展開している。理解度が高まり、実習や実験などにおいてもプラスα実力を養成しうる県下初の試みである。
体育の授業では、1学期はほぼ1500メートル走を行うことになる。学年別で基準タイム(1年生は5分40秒・2、3年生は-5、-10秒)が設けられており、クラスの平均タイムがそのタイムを切るまで、毎回体育の授業で走らなければならない(1年生は水泳の授業があるため水泳が優先されることがある)。クラスによっては1回でその平均タイムをクリアしてしまうクラスもあれば、稀になかなかクリア出来ないために9月下旬の陸上競技大会(一般に言う体育祭)頃になっても1500メートル走に取り組んでいるクラスもある。その結果、学校内での1500メートル走に対する意識は非常に高く、1500メートル走の校内平均タイムは全国平均より約30秒早い。
伝統的に全教職員が、生徒の意欲に積極的に応える指導体制を組み実績をあげている。その具体例が、新学習指導要領が定める履修内容を超えた範囲までも、生徒の求めや関心に応じて随時補習クラスを組んで指導する数々の自主ゼミである。それぞれの教職員が生徒と相談しながら創意工夫を凝らして展開されるのだが、大学教授を招いて毎年行われる模擬講義などとともに、受験のための準備にとどまることなく、それぞれの知的好奇心や進路選択力、さらには大学進学後の目的意識を引き出す場として、卒業生からも高い評価を受けている。
オーストラリア・ケアンズのセント・オーガスティン・カレッジとの姉妹校提携を締結。隔年で交互に夏季休業中に希望者を募り、ホームステイ・短期留学を行っている。
[編集] 部活動
部活動も盛んで、野球部は1931年春と1959年夏に甲子園に出場し、夏に1勝している。
1931年春 川越中学 0-11 中京商業
1959年夏 川越 3-1 鎮西
川越 0-1 高知商業
近年は、弓道部、放送部、音楽部、新聞部、古典ギター部などが全国大会に出場している。特に弓道部の活躍にはめざましいものがあり、第23回全国高等学校弓道選抜大会(平成17年3月東京)で男子団体準優勝・技能優秀を受賞している。
部活動一覧 ●文化部 新聞 応援 放送 吹奏楽 英語 映画視聴覚 写真 物理 化学 地学 音楽 郷土 美術 書道 ラジオ 古典ギター 将棋 軽音楽 弦楽合奏
●運動部 水泳 庭球(ソフトテニス) 山岳 卓球 籠球(バスケットボール) 野球 蹴球(サッカー) 体操 剣道 柔道 弓道 陸上競技 排球(バレーボール) バドミントン ラグビー
●同好会 硬式テニス同好会 囲碁同好会 釣り同好会
[編集] 強歩大会
毎年11月頃に行われる行事。かつては夏前に行われていたが、数名が熱中症で病院送りになったことが報道された事もあり、現在では十分に涼しくなった季節に行われるようになった。「体育教官」の言を借りれば、競うのではなく、行事そのものが大変なのであえて「強」の字が当てられているとのこと。1969年にそれまでの10kmマラソン大会に代えて、概ね現在の入間川~越辺川左岸に設置された森林公園自転車道に沿って、高坂神社までの約21kmのコースを在学生全員で歩いたり走ったりした大会に端を発し、その後奥武蔵ハイキングコースを軸に各々30km程の3コースが設定され、在校生は3年で全コース歩くこととなった。(なお、2006年の大会から2コースに削減された。)ただし、加入している部活動によっては部内で最低限の順位が決められていて、その順位をオーバーするとペナルティが課せられるため、歩かずに走らなければならない者もいる。しかしまた一方では、部活動の大会が控えてるので参加しなくて良いと言われる部活動の生徒も多数存在する。
また、学校からもリミットのタイムが設定され、それをオーバーすると後日ペナルティとして伊佐沼の周りを走らせるということになっているが、余裕を持ったタイム設定なのでリミットを越える生徒はまず出ないとされている。なお、強歩大会当日の欠席の場合にも同様のペナルティがあり、該当する生徒は毎年少なからず存在する。
[編集] くすのき祭
文化祭に該当する行事であり、毎年9月に行われる。高校創立当初から生えているといわれる正門前の2本のクスノキに由来するもので、1969年にそれまでの川高文化祭の名称に代わる名称を生徒会が学内公募し、在学生が投票して名付け、同年秋に初めて用いられた。
[編集] 水泳部の「男子シンクロナイズドスイミング」
「くすの木祭」はかねてから川越市周辺でも有数の盛り上がりを見せる文化祭として知られていたが、近年では水泳部の男子シンクロナイズドスイミングが話題となった。ニュースステーションで取り上げられた特集を、たまたま監督が目にした事によって『ウォーターボーイズ』として映画化、テレビドラマ化され、全国的に大きく脚光を浴びることとなった。
この男子シンクロナイズドスイミングは、それまでは県の新人戦と重なっていたために参加出来なかった当時の3年生が、1988年から新人戦の日程が変更になったために「水泳部」として参加しようと試みた事がきっかけである。(それまでは新人戦に関係のない3年生だけが個人でクラス等の団体に参加していた。)当初はプールサイドで軽食の販売のみを予定していたが、隣にある50mプールがあまりにも淋しいので何か出し物をやろうというアイデアが出た。フラダンスなどのアイデアが決まりかけたが、ある3年生の「シンクロなんてどう?」という一言が全ての始まりとなった。ドキュメンタリーが「にんげんドキュメント」(NHK総合)や「スーパーテレビ情報最前線」(日本テレビ)で放送され、近年は入場者数も数万人単位となり、2002年度には過去最高の30690人を記録した。しかし、近年減少傾向にあり、2006年には約1万4000人程となった。
[編集] 著名な出身者
[編集] 文学
[編集] マスコミ
- 小久保知之進 - テレビ朝日アナウンサー
- 辛坊治郎 - よみうりテレビ報道局解説委員
- 安田純平 - フリージャーナリスト
- 吉川勇一 - 平和活動家
- 森下和哉 - NHKアナウンサー
- 山本浩 - NHKアナウンサー
- 杉岡英樹 - NHKアナウンサー (現在山形放送局)
[編集] スポーツ
- 金谷多一郎 - プロゴルファー、ゴルフ解説者
- 杉本友 - 元プロ野球選手、ヤクルトスワローズ投手
- 北川智規 -元プロ野球選手オリックス・バファローズ投手
- 川俣則幸 - 元2002年W杯サッカー日本代表Gkコーチ
[編集] 政界・官界・財界
- 笹森清 - 日本労働組合総連合会会長
- 長島恒雄 -マクニカ元監査役
- 町田晋作 -岡三証券監査役
- 関 真 -元埼玉県日高市長
- 大沢幸夫 -埼玉県日高市長、元校長
- 吉野重彦 -あさひ銀行(現りそなホールディングス)元頭取
- 田中正 -あさひ銀行(現りそなホールディングス)前頭取
- 犬竹一浩 -ヤオコー専務取締役
- 斎藤博 -埼玉県所沢市長
- 小峰征三郎 -国際協力機構専務
- 佐々木典夫 -元社会保険庁長官
- 佐々木秀文 -元セントラル警備保障相談役
- 西島昭三 -埼玉高速鉄道社長
- 藤野忠次郎 -元三菱商事社長
- 小野章昌 -元三井物産理事
- 中貞雄 -元新潟鉄工所社長
- 井上勝 -元安田信託銀行副社長
- 中出傳二郎 -元フジテレビジョン専務取締役
- 矢島恒夫 -衆議院議員
- 中野清 -衆議院議員、厚生労働副大臣
- 藤縄善朗 -埼玉県鶴ヶ島市長
- 塩川鉄也 -衆議院議員
- 藤本正人 - 埼玉県議会議員
[編集] 研究者
- 会田茂樹 -大阪大学教授
- 荒井耕 -大阪市立大学助教授
- 岡村了一 -明治大学元理事長
- 片岡弘次 -東京外国語大学教授
- 兼田隆弘 -大阪大学教授
- 神部勉 -東京大学教授
- 小杉末吉 -中央大学教授
- 小林良二 -首都大学東京教授
- 坂野好幸 -東京農工大学教授
- 塩野元美 -日本大学医学部教授
- 篠原久典 -名古屋大学教授
- 田村文生 -神戸大学助教授
- 永林惇 -大東文化大学教授
- 橋本信夫 -京都大学教授
- 廣田秋彦 -島根大学医学部教授
- 増田秀男 -明治大学教授
- 増田正敏 -東京国際大学教授
- 森下正 -明治大学教授
- 矢部初男 -電気通信大学教授
- 山川一陽 -日本大学教授
[編集] 芸術家
- 小林庸浩 -書家(篆刻)全日本篆刻連盟会長 文化勲章を受賞
[編集] その他
[編集] 関係者
[編集] 偏差値
平均偏差値68(北辰テスト結果)。定期テストでトップの成績(Aランク)の者は70以上はあるとされる。歴史や伝統のある学校である上に、私服で通うことが出来ることから人気があり、県内トップ層の優秀な人材が多く集まってくる。しかし、主要科目の成績が良いだけでは合格出来るとは限らず、入試の際に学校から提出される「内申」も合否に関わってくるので、体育や芸術系科目にも万能な人が集まるといわれる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 埼玉県立川越高等学校(公式サイト)
- 埼玉県立川越高等学校くすのき祭2005公式 WEB SITE
- 埼玉県立川越高等学校くすのき祭非公式 Web Site
- 埼玉県立川越高等学校弦楽合奏部公式ホームページ
- 朝日新聞連載「政治の季節のあとに」[1][2][3][4][5][6] - 生徒憲章制定の経緯
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