大和 (初代)
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初代・大和(やまと)は、初代・葛城型の二番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。日本海軍最初のケースとして民間の神戸小野浜造船所で建造された。明治16年(1883年)2月23日に起工、明治18年(1885年)5月1日進水、明治20年(1887年)11月6日に竣工。艦名は、奈良県の古名である大和国にちなんで命名された。初代艦長は東郷平八郎大佐(当時)であった。
初めは巡洋艦と呼称されていた、日清戦争には、僚艦とどもに威海衛百尺崖攻撃や劉公島砲台の砲撃などに活躍し。明治31年(1898年)3月21日、三等海防艦に類別、日露戦争にも第三艦隊の一員として参戦した。大正元年(1912年)8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に艦種変更される。
さらに、大正11年(1922年)8月28日に、姉妹艦武蔵と共に特務艦(測量艦)となった。海防艦時代後期から測量任務として長期間に従事、また日本海中央部に大和堆を発見した。昭和10年(1936年)4月1日除籍。
その後、司法省の所管に移され、浦賀港内に繋留されて、少年刑務所の宿泊船になり。大東亜戦争中、解体のため横浜に回航されたが、敗戦1ヶ月後の昭和20年(1945年)9月18日、台風のため鶴見川の河口に沈没。昭和25年(1950年)ついに解体された。
[編集] 新造時要目
- 常備排水量:1480トン
- 長さ:61.4m
- 幅:10.7m
- 吃水:4.6m
- 主機:横置還動式2気筒連成レシプロ蒸気機関1基、1軸
- 主缶:円缶(石炭專焼)6基
- 出力:1600馬力
- 速力:13ノット
- 燃料搭載量:石炭150トン
- 兵装:17cm単装砲2基、12cm単装砲2基、7.5cm単装砲1基、25mm四連装機砲4基、11mm三連装機砲2基
- 乗員数:230名