大竹一樹
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大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・さまぁ~ずのボケ担当。ホリプロ所属。東京都墨田区出身。血液型はO型。
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[編集] 人物
東海大学付属高輪台高等学校卒業、東海大学文学部北欧学科中退。
高校時代の同級生である三村勝和(現マサカズ)とコンビを結成し、1989年に「バカルディ」としてデビュー。
デビュー当時、相方の三村と顔が似ているとの指摘を受け、所属事務所の方針で伊達メガネを掛けることになり、それ以来伊達メガネがトレードマークとなっている。近頃は本当に視力が悪くなってきたようで、テレビ番組でモニターなどを目を細めて見ている姿がよく見られる。
性格はネガティブでマイナス思考の心配性(三村談)。比較的ずぼらな性格の三村に対しては、度々「お母さんみたい」に注意をする。
人生の目標は「死ぬまで無事」と語る。
コントの場ではその後ろ向きな発想を生かし、ネタの大筋作りを担当する。「関東一のツッコミ王」の異名をとる相方・三村の「~かよ!」に代表されるツッコミ芸は、実は大竹が書いたネタの賜物である。低迷期にはその才能を生かすよう事務所の意向で放送作家の仕事をしていた(日本テレビ系列『ジャムパラ』)こともあったが、本人曰く「適当に書いただけ」でライブのコンビネタに力を注いでいた様子。コントでは、細身の体型を活かして女役に回ることが多い。
大竹がコントネタとして編み出した「悲しいダジャレ」「悲しい俳句」といった「悲しいシリーズ」は、書籍化されベストセラーとなったほか、2005年にはさまぁ~ずのコントライブ中に登場するバンド「マイナスターズ」のボーカル(兼作詞)としてCDデビューも果たしている。
特技は剣道(初段)、サーフィン、自動販売機の硬貨速入れ。またカラオケも得意で、『リンカーン』(TBS系列)の「ワンフレーズカラオケ選手権」では高得点を叩き出した。十八番は新沼謙治の「嫁に来ないか」。様々な名義・グループで楽曲をいくつか発表しており、これらの中でその歌唱力の片鱗を示している。さらに同番組内の企画で走り高跳びを披露し、見事140cmを跳んで見せた。 この他まれにしか見せないが、微妙なものまね芸を持ち、レパートリーに草刈正雄、菊地秀規(いつもここから)、船越英二などがある。 水を飲むと自然と小便が出てしまう体質。
家族構成は両親と4歳下の妹の4人家族。父親は「失踪中でどこに居るかわからない」(本人談)が、コントライブなどの際にふらっと顔を出す。実家が狭く、高校生になっても自分の部屋がなく妹と同部屋だった。高校卒業後、「自分だけの部屋で思いっきりオナニーがしたい」との理由で独り暮らしを始めたという。
40歳目前だが、2006年現在も未だ独身貴族。相方の三村は、大竹にも早く家庭を持ってもらって家族ぐるみの付き合いがしたい、と某所で語っているが、今のところその予定はまだない模様。先頃、某局アナウンサーとの交際が噂されていたが、結婚には至っていない。
アメカジファッションにこだわりを持ち、番組出演時の衣装も大抵はTシャツにジーンズ(もしくはカーゴパンツ)、そしてスニーカーというスタイル。三村とセンスがほぼ一緒で、同じコーディネート・同じカラーリングになってしまうことがまれにあるとか。冬場は長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね着するのが好き。その他、タオルをハチマキのように頭に巻いていることが多い。
2005年10月、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「グルメチキンレース・ゴチになります!」に出演した際に最下位となり、同コーナー史上最高額となる54万6200円を支払った記録保持者である。また、2006年4月13日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系)・「芸能界チキンNo.1決定戦!」では、心配性な性格が災いしチキンNo.1の称号を得た。
小・中学校時代の同級生に、文化放送アナウンサーの斉藤一美がいる。
[編集] 出演
以下は大竹単独のもの。コンビとしての出演はさまぁ~ずの記事を参照。
[編集] バラエティ番組
- ザッツスカパー(CS200、1999年)
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(日本テレビ系、2001年6月 - 2002年3月)
ほか