富永一朗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキポータル |
日本の漫画作品 |
日本の漫画家 |
漫画原作者 |
漫画雑誌 |
カテゴリ |
漫画作品 |
漫画 - 漫画家 |
プロジェクト |
漫画作品 - 漫画家 |
富永 一朗(とみなが いちろう、男性、1925年4月25日 - )は漫画家。京都府京都市生まれ。大分県佐伯市育ち。大分県立佐伯中学(現在の大分県立佐伯鶴城高等学校)を経て台湾の台南師範学校(現在の国立台南大学)卒業。佐伯市の小学校で教師生活を送った後、上京して杉浦幸雄に師事し漫画家となる。富永の才能を最初に見出したのは編集者時代の吉行淳之介だったという。
代表作は「チンコロ姐ちゃん」である。
また1976年より1994年まで放送された長寿番組、お笑いマンガ道場に出演。番組中では共演者の鈴木義司に「デブの恵まれない人」「サンショウウオ」「タラバカガニ」などとこき下ろされる一方、鈴木を「土管に住んでいる貧乏人」「毛虫・みの虫」「アホウドリ」などとこき下ろし、そのやりとりで人気を博した。同番組のエンディングで出演者みんなが手を振るときに、富永だけはいつも何故か手を斜め前に(まるでヒトラーの様に)上げるだけで、掌を振る仕草は見られなかった。
実際は鈴木義司とは仲良く、鈴木義司の誘いがありマンガ道場に出演した。1992年に紫綬褒章、1998年に勲四等旭日小綬章を受賞。
「マンガ文化の町づくり」を進めていた岡山県川上郡川上町(現在の高梁市)の名誉町民で、1994年4月29日に開館した「吉備川上ふれあい漫画美術館」の名誉館長を務めている。
近年糖尿病を患い、必死でウォーキングに努める姿が見られた。そのおかげか恰幅良すぎるかつての面影は無く、大分減量されたようである。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 代表的な作品
- チンコロ姐ちゃん
- ポンコツおやじ
[編集] その他
- 熱狂的な広島東洋カープファンとして知られ、球団の応援歌「ゴーゴーカープ」「カープ音頭」を吹き込んだ。(参考記事・中国新聞「我らカープ人」)
- 別府の鬼山地獄にいた巨大ワニ(平成8年没)に「イチロウ」と名付けた。これはワニと富永の出生年が同じだったため、同い年のよしみで名づけたもの。
- 民社党支持者としても知られ、たびたび推薦人に名を連ねていた。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 漫画家 | 1925年生 | 漫画関連のスタブ項目