實川延若 (3代目)
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三代目實川延若(さんだいめ じつかわ えんじゃく、1921年(大正10年)1月13日 - 1991年(平成3年)5月14日)は、歌舞伎役者。本名天星昌三。俳名は正鴈、昌鴈。舞踊名は藤間勘太郎。屋号は河内屋。紋は重ね井筒、五つ雁金。二代目實川延若の長男として大阪に生まれる。
[編集] 略歴
- 1927年(昭和2年)正月、中座で初舞台。
- 1934年(昭和9年)3月、大阪歌舞伎座『寿生立曽我』で曽我十郎を演じ二代目實川延二郎を襲名。戦後は関西歌舞伎の衰退により六代目中村歌右衛門の招きで活躍の場を東京に移す。
- 1955年(昭和30年)、三島由紀夫作『芙蓉露大内実記』で芸術祭奨励賞。
- 1958年(昭和33年)、『女殺油地獄』与兵衛で毎日演劇賞。
- 1963年(昭和38年)3月、歌舞伎座で三代目實川延若を襲名。『冥土の飛脚・封印切』で亀屋忠兵衛、『須磨の写絵』行平役を演じる。
- 1976年(昭和51年)芸術院賞。1985年(昭和60年)紫綬褒章をそれぞれ授与。上方歌舞伎の伝統を伝える貴重な存在であったが、業半ばで病に倒れた。
[編集] 人物
顎のしゃくれた、鼻の高い古風なマスクで、立役から老役、敵役、老女形、舞踊と何でもこなし、上方と江戸歌舞伎にも通じる器用さを持ち合わせていた。豪放な父と違い、線は細く声もかすれ気味であった。
古典では『楼門五三桐』の五右衛門、『雁のたより』の五郎七、『伊賀越道中双六・沼津』の平作、『夏祭浪花鑑』の團七、義平次、『心中宵庚新申』の半兵衛、『阿古屋琴責』の岩永、『仮名手本忠臣蔵・六段目』の勘平、『御所桜堀河夜討・弁慶上使』の弁慶。新作では『研辰の討たれ』の辰次、『柳影沢蛍火』の柳沢吉保。舞踊では『落人』『団子売』などが当り役。また、上方に伝わるケレン芸も得意で『鯉つかみ』『乳房榎』『葛篭抜けの五右衛門』、『義経千本桜』の知盛・権太・狐忠信の三役などを演じていたが、これらのノウハウは、現在の市川猿之助のスーパー歌舞伎に受け継がれている。
実力がありながら、上方歌舞伎の凋落期に出あって高い評価が得られぬままに没したのは本人はもちろん、関係者、ファンにとっても残念な事である。また、遺族の意向で延若の名跡は止め名とされ、中村鴈治郎・片岡仁左衛門とならぶ上方歌舞伎の名家は絶えてしまい、今日に至っている。