小尾乕雄
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小尾乕雄(おび とらお、1907年(明治40年) - 2003年(平成15年)2月23日)は、山梨県出身。主に昭和時代に活動した教育者である。諏訪中学、東京高等師範卒。
東京都教育委員会教育長、学校法人文教大学学園名誉学園長(理事長)、文教大学(立正女子大学)・文教大学女子短期大学部(立正女子大学短期大学部)学長、財団法人日本青年館理事長、日本私立短期大学協会会長などを歴任する。
都立駒場高校教諭を勤め、1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)まで東京都教育委員会教育長を務めた。在任中、通達として、1965年(昭和40年)に「入試準備教育の是正」(通称・第1次小尾通達)、翌年の1966年(昭和41年)に「学校と家庭の教育上の協力について」(通称・第2次小尾通達)を出した。その予想外の反響に1967年(昭和42年)、東京都立の高等学校入学者選抜に学校群制度を導入した。
1967年(昭和42年)には、学校法人文教大学学園の学園長(理事長)に就任し、その後、1969年(昭和44年)11月12日には、財団法人日本青年館の第14代理事長にも就任した。その後、文教学園長の後任には小尾氏の子息・圭之助氏が継いだ。