小林一喜
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小林 一喜(こばやし かずよし、1934年4月10日 - 1991年2月19日)は昭和・平成期(1950年代後半~1990年代前半)のジャーナリスト。
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[編集] 来歴・人物
東京外国語大学卒業後の1957年、朝日新聞社に入社。論説委員、編集委員などを歴任。1985年10月からテレビ朝日のニュース番組『ニュースステーション』のキャスター(コメンテーター)を務めた。
[編集] 著書
- テムズの川霧が消えた(朝日新聞社・1991年4月)ISBN 4-02-256312-5
[編集] エピソード
生家のあった場所はその後『ニュースステーション』のスタジオが造られたまさにその場所であったという。
愛称は「ピンキーさん」。『ニュースステーション』のメインキャスター久米宏はしばしば「こばやし いっき」さんと呼んでいた。
「圧勝」が口癖だった。『ニュースステーション』の視聴率が低迷していた初期の頃、この言葉で若いスタッフを励ましていた。
病気の進行が進むにつれ、ふっくらした丸い顔が明らかに面長になっていき、視聴者からは「どうしたのだ?」と心配する声が寄せられた。
病気療養中、1991年1月17日の湾岸戦争開戦を受けて、スタッフに送ったファクスに「NO MORE WAR」と書いたのが、ニュースキャスターとしての最後のメッセージになった。
死後、『ニュースステーション』のスタジオセットの夜景に人の顔のように見える箇所があると言われ、亡くなった小林の霊ではないかと騒がれたことがある。
[編集] 関連項目
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