小野道風
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小野道風(おののみちかぜ、「おののとうふう」とも))、寛平6年(894年) - 康保3年(966年))は、平安時代の代表的な書道家で、「三蹟」(三跡)の一人に数えられる。現在の愛知県春日井市出身。名前の読みは「みちかぜ」だが、「とうふう」と音読みされることが多い。
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[編集] 概要
平安時代前期、10世紀に活動した能書家であり、それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されている。後に、藤原佐理(ふじわらのすけまさ、「ふじわらのさり」とも)と藤原行成(ふじわらのゆきなり、「ふじわらのこうぜい」とも)と合わせ、「三蹟」と称されている。道風は中務省に属する少内記という役職にあり、宮中で用いる屏風に文字を書いたり、公文書の清書をしたりするのがその職務であった。書家としての道風の名声は生存当時から高く、当時の宮廷や貴族の間では「王羲之(中国の著名な書家)の再生」ともてはやされた。『源氏物語』の「絵合」の巻では、道風の書を評して「今風で美しく目にまばゆく見える」(意訳)と言っている。没後、その評価はますます高まり、書道の神として祀られるに至っている。 なお、道風の祖父は平安時代初期の漢学者・歌人として著名な小野篁(おののたかむら)である。
出身地の愛知県春日井市には、道風記念館がある。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
- 920年(延喜20)、非蔵人に補任。昇殿を許される。
- 921年(延喜21)、右兵衛少尉に任官。
- 925年(延長3)、少内記に遷任。
- 939年(天慶2)、内蔵権助に転任。時に従五位下。
- 942年(天慶5)、右衛門佐に転任。 4月27日、宇佐使に補任。
- 946年(天慶9)、従五位上に昇叙。
- 947年(天暦元)、次侍従に補任。
- 957年(天徳元)、木工頭に遷任。
- 958年(天徳2)、従四位下に昇叙。木工頭如元。
- 960年(天徳4)、正四位下に昇叙し、内蔵権頭に遷任。
- 966年(康保3)、卒去。享年73。時に、正四位下行内蔵頭。
[編集] 逸話
道風は花札の絵柄になっている人物としても知られている。道風はあるとき、柳に蛙が飛びつこうとして、何度も挑戦している様を見て発心し、書道に専念したという。ただし、この逸話は史実かどうか不明で、広まったのは江戸時代中期の浄瑠璃小野道風青柳硯(初演1754年)からと見られる。(その少し前、1750年に三浦梅園が随筆梅園叢書に書いているが、刊行されたのは1855年。)その後、第二次大戦以前の日本の国定教科書にもこの逸話が載せられ、多くの人に広まった。
この逸話は多くの絵画の題材とされ、花札の絵柄もこの逸話を題材としている。(花札の絵柄に小野道風が採用されたのは明治時代からと見られる。)
[編集] 主な作品
- 真蹟
- 三体白氏詩巻 (国宝) 正木美術館蔵
- 智証大師諡号勅書(国宝)東京国立博物館蔵
- 屏風土代 三の丸尚蔵館蔵(土代とは「下書き」の意で、内裏に飾る屏風に揮毫する漢詩の下書きである)
- 玉泉帖 三の丸尚蔵館蔵
- 絹地切 東京国立博物館ほか分蔵
- 古来、道風を伝承筆者とするが、疑問視されているもの
- 継色紙
- 秋萩帖
- 本阿弥切
- 小嶋切
- その他
- 集古浪華帖 (道風の消息を集めて、木版で模刻刊行したもの)