少林寺拳法
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少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)とは太平洋戦争直後の1947年(昭和22年)10月、満州から帰国した宗道臣(そう どうしん、旧姓中野1911年2月10日 - 1980年5月12日)が日本で創始した禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体。その創始した動機は、けっして単に武道団体を創始したかったのではなく、「敗戦した後の日本の堕落ぶりは目を覆わんばかりであった。荒廃した日本民族の自立を再度うながすべく、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」と後日回顧している。
法衣と呼ばれる仏門の服装をまとい、二人一組で行われる演武は、飛燕と呼ばれる目にもとまらないスピードと連続攻撃に対する防技、そして鋭い気合の応酬、床にたたきつける激しい投げ技と繊細な関節技そして圧法と呼ばれる技法の迫力は見る者が言葉を失うほどであり、まさに静と動を同時に行う禅の拳法として多くの人を魅了した。創始当時の入門者には柔道や空手そして他流派拳法からの高段者が多く転籍した事実を見ても、当時としては魅力的な技術体系であったと想像される。一方、少林寺拳法は戦後発祥の新しい武道であるが、日本9大武道(日本武道館認定)の一つとなり、単一流派としては日本最大の会員数を誇る。また金剛禅と呼ばれる思想は根強い求心力を誇り、創始60年を経過した今も全く朽ちる気配はなく、剛柔一体の技法と同様に多くの人を魅了し続けている。
同時に別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強い。宗が戦前に中国の臨済宗の総本山である嵩山少林寺を訪れた際に、彼が修業中であった義和門の法門継承式を少林寺にて行い、白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練に深く感銘を受けた意味から後日少林寺拳法と命名した経緯がある。したがって技法的には少林拳、少林寺の歴史とは直接は関係が無い。宗道臣が中国滞在時に指導を受けた各種中国拳法を取り入れ、また幼少時より祖父から教わった日本の古武道をミックスさせて試行錯誤のうえ作り上げた日本独自の武術であり、宗派である。終戦直後の日本香川県多度津町で宗道臣は「これはシナの武術じゃ。喧嘩の仕方を教えてやる」と言って広めていった。 また名称は似ているが不動禅少林寺流拳法とはまったくの別系統である。
ただし、嵩山少林寺には昭和50年代に宗道臣の記念碑が建てられており、日本から多数表敬訪問している。 同寺の公式ホームページに「日本武士宗道臣」の記述がある、リーリンチェイ主演映画「少林寺」に少林寺拳法の山崎博通氏(現 禅林学園校長)が出演している、など交流面は多く、お互いを認め合っている。
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[編集] 概要
2006年現在の少林寺拳法グループ総裁は、開祖の娘にあたる宗由貴(そう ゆうき)。昨今の性犯罪の増加から有効な護身術として注目され女性の入門者が増えている。金剛禅総本山少林寺、少林寺拳法連盟本部、専門学校禅林学園は香川県仲多度郡多度津町に、東京別院が東京都豊島区にある。日本を含む32カ国に普及しており、4年に1度、国際大会(2009年はインドネシアで開催予定)も開かれている。金剛禅総本山少林寺として「禅」と「精神修養」の一環を法話や規範を説きながら護身の拳法を稽古する場所を道院、財団法人少林寺拳法連盟の管轄で、自己の向上の教えのもとに護身の拳法をスポーツ少年団、高校、大学、企業、自衛隊、カルチャーなどのクラブ、サークルで活動する団体を支部と称している。
[編集] 沿革
- 1947年 日本の香川県多度津町にて、「日本北派少林寺拳法会」が発足。(二ヵ月後に宗教法人の認証を受ける。)
- 1951年 日本政府による宗教法人法の成立により、「金剛禅総本山少林寺」の認証を受け登記する。
- 1956年 「日本少林寺武道専門学校」開校。
- 1972年 「国際少林寺拳法連盟」が発足。
- 1974年 「少林寺拳法世界連合」へと移行。
- 1980年 初代師家 宗 道臣の逝去に伴い、娘の由貴が二世宗 道臣として管長に就任。
- 1997年 創立50周年を祝し、50年史(沿革史集、道院支部紹介集、有段者名簿集)を発刊。
- 2000年 「少林寺拳法グループ連携協議会」(略称 少林寺拳法グループ)が発足。「財団法人少林寺拳法連盟」と「金剛禅総本山少林寺」の差別化を行い、グループ総裁に宗 由貴が就任。
- 2002年 「日本少林寺武道専門学校」全日制高校課程を開講。
- 2003年 「日本少林寺武道専門学校」が「専門学校 禅林学園」と改称。
- 2005年 創設以来使用してきた「盾卍」からシンボルマークを「双円(ソーエン)」と呼ばれるものに変更。メインロゴを「SHORINJIKEMPO」(1つ目のoは双円)とデザイン化されたものに変更し、世界統一を図りだす。
[編集] 組織体系
- 少林寺拳法グループ 総裁 宗 由貴
- 金剛禅総本山少林寺 代表 鈴木 義孝
- 少林寺拳法連盟 会長 新井 庸弘
- 専門学校禅林学園 校長 山崎 博通
[編集] 教え(stub)
金剛禪では、「自己確立」「自他共楽」「理想境建設」をその目的としてあげている。リーダー育成により日本の社会に影響ある若者を育てることを目指す。少林寺拳法の哲理
[編集] 禅と拳法
開祖宗 道臣が生まれてから満州へ渡り中国で過ごし、敗戦後日本に帰国するまでに見て学んだ武術・武道をアレンジし体系化されたものを少林寺拳法の護身の技としている。拳法は三法二十五系に別れ、突き蹴り等打撃攻撃に対する守備反撃方法の「剛法」。腕や衣服を捕まれたり、背後からの攻撃に対する抜きや投げによる反撃方法の「柔法」がある。もう一つは整骨法の「整法」と呼ばれる。少林寺拳法の教えに「拳禅一如」というものがあり、どちらも均等に修練しないと上達していかないと言われている。混同されがちだが、金剛禪の中に(修練法として)少林寺拳法があるのであって、少林寺拳法の中に金剛禪があるのではない。
[編集] 資格・武階と法階
少林寺拳法の修練時は道衣と帯を締める。2005年4月以降は統一ロゴ・マークが制定され、道衣の胸には統一マーク、袖に所属を表す袖章を表記するようになった。 袖章の色
■赤 金剛禅総本山少林寺管轄(一般の道院)
■青 少林寺拳法連盟の支部(学校クラブや支部)
■緑 禅林学園
■紫 少林寺拳法世界連合 (WSKO)
さらに、本山・本部役員は金、道院・支部関係の所属長は銀、助教等の役職で中拳士参段以上は赤の刺繍があわせて施される。
[編集] 演武
この拳法の体術である「剛法」と「柔法」の技を組み合わせ、演じるものを『演武』という。とくに二人で組むものを「組演武」といい、「組手主体」の教えの基、二人の攻防を演じる。また1人でおこなう『単独演武』というものもあり、突き、蹴り、受けという基本の動きを確認するために用いる。少林寺拳法における『大会』とは主にこの演武の発表会を指し、各資格別に分かれたコートで演武をおこないそれを5名(3名の場合もある)の審判員が審査する。本来は、修練体系として確立されているものであるが、年始の稽古初め・年末の稽古納め・入門式など各節目などに行われることもある(奉納演武)。少林寺拳法創生期には、現在のように完全に構成を決めたものではなく、多くの不確定要素を盛り込んだ自由攻防も行われていたため演武が最後まで演じきれずに終わるということも散見され、その緊張感と迫力には定評があり、また武の修練としても大きく効果を発揮した。特に中野と三崎による演武は、指導した開祖をもってして驚嘆せしめる迫力があり、この演武を見て入門を決意した者が多数いた。そして柔道や空手そして他流派拳法の高段者がこぞって入門した事実を見ても、相当のレベルであったことが伺いしれる。
[編集] 運用法
これらの技法をより深める修練法として、攻守を決めて行う『運用法』がある。以前から他武道と同じように『乱捕り稽古』と呼ばれていたが、現在は『運用法』に名称を統一している。以前は大学の部活同士で『乱捕り競技会』と称して、大学内の優劣を決める対戦競技が行われ、死傷者を出す惨事を多く起こし問題となった。現在は防具の改良と充分な安全管理の下、正式に資格を有するものが審判を行うことが徹底されている。大学生は現在でも活発に練習に取り入れているものの、一般支部では指導法の難しさや、年齢層もまちまちの為敬遠されがちである。しかし昇段試験には運用法も試験内容に含まれており、きちんとした指導と練習を今後していけるかどうかが課題とされている。
[編集] 禅林学園(武道専門学校)について
禅林学園は「日本少林寺武芸専門学校」を前身とする、少林寺拳法の指導者育成機関として設立された。全日制・全寮制の「武道専門コース」、「公務員対策講座」「経営創造学科」「高等課程」も開講されている。卒業生は地方へ帰ると指導幹部として期待され後進の指導に当たる。本校の生徒の多くは高校生(高等課程)から20代前半の少林寺拳法の指導者を志す若者が多数在籍している。
また、全国各地に「地方武道専門コース」があり、全日制に比べて修了までの期間は長くかかるが、社会の場に出て全日制に通えない社会人などで指導者を志す者が多く在籍している。各地での指導に当たるのは地元に在籍する修了した高段者や禅林学園からの派遣講師が指導にあたる。地方コースはほぼ各都道府県で月に1度日曜日に開講されている。
[編集] 金剛禅総本山少林寺の概要
場所は香川県仲多度郡多度津町の桃陵公園の近く。金剛禅総本山少林寺、少林寺拳法連盟、少林寺拳法世界連合、専門学校禅林学園からなる。これらの施設は同一の敷地内にある。
- 金剛禅総本山少林寺、少林寺拳法連盟、禅林学園、少林寺拳法世界連合(wsko)
右上1番下の写真参照。本堂、講堂、錬成道場、食堂、大雁塔、禅林学園校舎からなる。少林寺拳法師家 宗道臣(開祖)の墓(霊廟)もある。敷地内には金剛禅総本山少林寺、少林寺拳法連盟、少林寺拳法世界連盟(WSKO)の各団体の事務局も存在する。
- 大雁塔
敷地より山の上部にそびえる白い六重の塔。内部は少林寺拳法の資料館となっており開祖の遺品や少林寺拳法の歴史を知ることができる。最上階の一角には開祖の遺骨が分骨で祀られている。また多度津の町並みや讃岐の山々、瀬戸大橋と瀬戸内海を見渡せる。宗道臣が若い頃訪れて感動したという西安の大慈恩寺・大雁塔をモデルに建立された。
[編集] 道衣・帯の生産・販売のマスターライセンス解除事件
2005年4月よりサイナップス・コミュニケーションズ株式会社による新道衣・帯の販売を開始。
ところが2005年11月7日付にて少林寺拳法知的財産保護法人より サイナップス・コミュニケーションズ株式会社宛にマスターライセンスの解除通知が送られた。
2005年11月付でサイナップス・コミュニケーションズ株式会社は少林寺拳法グループおよび 株式会社オザキ、株式会社前川商店らに対して仮処分命令申立を行った。
2005年12月16日付でサイナップス・コミュニケーションズ株式会社は少林寺拳法グループに対して 債務不履行に基づく損害賠償ならびに不法行為に基づく損害賠償請求のため、東京地方裁判所へ民事告訴した。 同日付で、株式会社オザキ、株式会社前川商店らに対して 売掛代金請求のため同裁判所へ民事告訴した。
現在、和解に向けての話し合いが行われている。
[編集] テーマソング
[編集] 映画
- 少林寺拳法(ストーリーは、若き宗道臣が大阪天王寺界隈で正義感から米兵に怪我を負わせたため香川多度津町へ逃れたのち、様々なできごとを経験しながら少林寺拳法を創始する姿を描いている。ラストのテロップも印象的で「正義なき力は暴力なり、力なき正義は無力なり」と表示されており、監督のメッセージが込められている。)監督:鈴木則文、配役:千葉真一(宗道臣の役)、井川比佐志(宗道臣の友人の空手家の役)、力也(多度津のチンピラのリーダーの役)、志穂美悦子(宗道臣の門弟の役)など。
[編集] 少林寺拳法経験者の著名人
- 高村正彦:衆議院議員、少林寺拳法振興議員連盟会長、中央大学少林寺拳法部元監督
- 石原伸晃:衆議院議員、慶応義塾大学総監督
- 野伏翔:演出家、映画監督
- 峰岸徹:俳優
- 力也:俳優
- 若本規夫:声優
- 筧利夫:俳優
- 坂口拓:アクション俳優
- 澤田謙也:アクション俳優
- 水野美紀:女優
- 戸田恵梨香:女優
- 安室奈美恵:歌手
- 板垣恵介:漫画家 グラップラー刃牙、バキ、範馬刃牙、餓狼伝を連載
- クロード・チアリ(蔵上人智有):フランス系日本人ギタリスト
- 神野美伽:歌手
- 前田日明:格闘家
- 近藤有己:格闘家
- 菊地秀行:小説家
- 徳弘正也:漫画家
- たなか亜希夫:漫画家
- 志穂美悦子:女優
- 松井章圭:極真空手家
- 角田信朗:正道空手家
- Gackt:シンガーソングライター
- 風見しんご:タレント
- HYDE:シンガーソングライター
- 吉川晃司:歌手
- 鈴木あみ:歌手
- 近野成美:歌手