山中城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
岱崎出丸と畝堀(復元) | |
通称 | |
城郭構造 |
山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
北条氏康 |
築城年 |
永禄年間(1558年~1570年) |
主な改修者 |
北条氏政 |
主な城主 |
松田氏 |
廃城年 |
1590年 |
遺構 |
曲輪、堀、土塁 |
山中城(やまなかじょう)は伊豆国田方郡山中(静岡県三島市山中新田)にあった山城。
目次 |
[編集] 概要
後北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。三島市によって当時を反映した復元がなされ、戦国時代をしのぶことのできる城跡となっている。城域一帯が国の史跡に指定されている。
現在では堀や土塁などの遺構が復元されており、また近世城郭としての歴史を持っていないため、戦国時代の城郭の構造を多く残していることが注目される。
毎年、5月の第三日曜日に山中城まつりが開催される。
[編集] 歴史
永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城される。後北条氏の根拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。天正18年(1590年)、小田原の役で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、城将松田康長ら4千は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、松田以下城兵はほとんど討死した。戦後、城は廃止された。
昭和5年(1930年)に国の史跡に指定された。昭和48年(1973年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされた。
[編集] 参考文献
- 三島市教育委員会編『史跡 山中城跡』昭和60年(1985年)刊
[編集] 小説
- 池波正太郎著『戦国幻想曲』(昭和44-45に週刊誌『サンデー毎日』に連載。現在は角川文庫で刊行)
- 山中城攻防戦で豊臣方の一番乗りとされる渡辺勘兵衛が主人公。この戦いも詳しく描かれている。
- 津本陽著『新陰流 小笠原長治』新潮社、昭和62年(1987年)刊
- この戦いで小田原方で戦った主人公の目線で書かれている。
[編集] 交通アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 日本の城 | 史跡 | 静岡県の歴史 | 静岡県の建築物・観光名所 | 三島市