平清宗
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平清宗(たいら の きよむね、嘉応2年(1170年) - 文治元年6月21日(1185年7月19日))は、平安時代末期の武将である。平氏の棟梁平宗盛の長子で、母は平時信の娘。兄弟に平能宗ほか。平清盛の孫にあたり、母は清盛正室である平時子の妹。
[編集] 略歴
後白河法皇の寵愛のもと、3歳で元服し、従五位下となる。1182年、13歳のときに正三位に昇進。同年、平氏は源氏の源義仲の侵攻で安徳天皇とともに都落ちし、源氏の戦いに従軍。
平家は各地で敗れ、85年3月の源義経率いる源氏勢と壇ノ浦の戦いで敗北し。滅亡。清宗は父の宗盛とともに入水を試みるが、捕縛されて捕虜となる。5月に清宗らは義経に護送されて京都から鎌倉へ送られるが、義経の鎌倉入りを禁じられたため途中で留め置かれる。6月に再び京へ返され、途中の近江国篠原宿にて、義経の部下堀景光により斬首された。享年16(数え年)。
なお、平家の落ち武者伝説では、下野国那須のあたりに落ち延びたというが、確証はない。
[編集] 官歴
※日付=旧暦
- 1172年(承安2)1月5日、従五位下に叙位。
- 1173年(承安3)1月5日、従五位上に昇叙。
- 1174年(承安4)1月23日、侍従に任官。
- 1175年(安元2)1月5日、正五位下に昇叙。侍従如元。
- 1178年(治承2)1月28日、備前介兼任。
- 1179年(治承3)1月3日、従四位下に昇叙。侍従・備前介如元。 12月16日、従四位上に昇叙。侍従・備前介如元。
- 1180年(治承4)5月30日、従三位に昇叙。侍従如元。
- 1182年(養和2)4月9日、正三位に昇叙。侍従如元。
- 1183年(寿永2)1月22日、右衛門督に転任。 8月6日、解官。