恩田美栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恩田 美栄(おんだ よしえ、1982年12月13日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手である。愛知県名古屋市出身。身長158cm。血液型O型。東海学園大学職員。躍動感溢れる演技と中性的な愛嬌のあるルックス、誰からも愛される憎めない性格を併せ持ち、フィギュアスケート・ファンから絶大な人気を誇る。パワフルでずばぬけた"高さ"のあるジャンプが持ち味。 愛称オンちゃん、ヨシオ(中性的でパワフルなキャラクターから由来)。 今シーズン末での引退を表明している。
目次 |
[編集] 出身校
- 東海女子高校(現在は共学化して東海学園高校)
- 東海学園大学
[編集] 経歴
- かつて伊藤みどりを育てた山田満知子コーチの「グランプリ東海クラブ」で、地元名古屋のスケート場において9歳から指導を受ける。
- 2000年3月、世界選手権に初出場ながら12位と健闘する。
- 2001年12月、NHK杯で2位入賞しGPファイナルへの出場が決定。この成績により、翌2002年2月のソルトレークシティ・オリンピック代表に村主章枝と共に選ばれた。本番では、ショートプログラムでのコンビネーションジャンプの失敗が響き、フリーでも伊藤みどり以来のトリプルアクセルに挑んだが転倒、17位に終わった。しかし1か月後の2002年3月に日本で開催された世界選手権長野大会では、メダルにあと一歩の5位入賞と健闘した。
- 2003年にも世界選手権(アメリカ.ワシントン)に出場、11位。
- 2004年に山田コーチのもとを離れて練習拠点を日本からアメリカに移し、オードリー・ワイジガーの指導を受ける。*翌2005年からはカナダ・トロントに練習拠点を移し、アルベールビル・リレハンメルオリンピックのカナダ代表、ジョゼ・シュイナールの指導を受けている。
- 2005年のGPシリーズのスケートカナダで村主章枝が8位に終わり、さらに荒川静香の2005年GPファイナル出場が絶望的であったため、恩田がGPファイナルに出場し3位以内に入ればトリノ五輪代表の可能性が極めて高くなる状況であったが、恩田もGPファイナルへは出場できず。GPファイナル直後に行われた、トリノオリンピックの最後の選考会であった2005年12月の全日本選手権では、3位の荒川と僅差の4位に終わり、惜しくもトリノオリンピックへの出場権を逃した。だが、この大会でのフリー演技はほぼ完璧な演技で、彼女の一世一代の名演として、語り継がれている。「第74回全日本フィギュアスケート選手権大会 女子シングル - 最終結果」 日本スケート連盟
- 翌2006年1月の四大陸フィギュアスケート選手権の代表に選出されたが、「(故障などはないが)試合をやる気持ちになっておらず、辞退したい」と日本スケート連盟に申し出て出場を辞退した。その後一部メディアで今季限りで競技生活引退するのではとのささやかれ、実際本人も引退を考えていたようだが、後日恩田本人が引退を思い直したと、来季以降も競技を続けることを公表。
- 2006年3月20日開幕の世界選手権(カナダ.カルガリー)は、トリノ五輪金メダリストの荒川静香が調整不足で辞退した為、補欠代表だった恩田が繰り上がり、日本代表として3年ぶりに出場した。当初05年12月の全日本を最後に引退するつもりであったためこの大会への調整は万全では無かったが、総合11位に入った。
- 2006年7月15日、新横浜アリーナでのアイスショー出演の際、2006-07シーズンを最後に現役引退する旨を発表した。
[編集] 人物・エピソード
- 笑顔が魅力的な選手としても知られ、その笑顔は「恩ちゃんスマイル」という固有名詞を与えられている。
- 入れ込み過ぎる性格故に大舞台に弱く、演技前は掌に「人」の字を書いて飲み込んでいる所をよくテレビに映される。
- 会心の演技が終わった時にはガッツポーズをするクセがある。
- 恩田は普段から男子に匹敵する量・メニューの筋力トレーニングをこなすことも知られる(本人は否定しているが、周囲からは趣味だと思われているらしい)。日本女子フィギュア界でこれほど筋力トレーニングに力をいれている選手は恩田ぐらいで、また「あまり筋肉が目立つと優美さも求められる女子フィギュア選手としては不利なのでは…。」との意見も聞かれるが、恩田の特徴である多回転数で、ずば抜けた高さのあるジャンプは高い筋力に支えられてこそ実現している。
- ジャンプの特筆すべき技術の高さに対し、(体の)柔軟性の低さ(より基礎点の高いスピン・スパイラルがこなせない)が課題。
- 山田コーチ一門の先輩後輩であった、伊藤みどり・中野友加里・浅田舞・真央姉妹はもちろん、ライバルの荒川静香・安藤美姫らとも仲がよく、三人連れで同じイベントに出席することも多々あった。
[編集] 主な大会成績
- 1999-2000年
- 世界選手権 12位
- 2000-01年
- 2001-02年
- ソルトレークシティオリンピック 17位
- 世界選手権 5位
- スパルカッセン杯(ドイツ) 2位
- NHK杯(熊本) 2位
- 四大陸フィギュアスケート選手権 3位
- 2003-04年
- GPシリーズ スケートカナダ 2位
- GPシリーズ NHK杯 3位
- 2004-05年
- ユニバーシアード 優勝
- 四大陸フィギュアスケート選手権 2位