手嶋多一
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手嶋 多一(てしま たいち, 1968年10月16日 - )は、福岡県出身のプロゴルファーである。日本ゴルフツアーで「3勝」を挙げているが、その中には2001年の日本オープン選手権が含まれている。
7歳からゴルフを始める。中学生から高校生時代にかけて「九州ジュニアゴルフ選手権」で4度優勝。福岡県立田川高等学校卒業後アメリカに留学し、東テネシー州立大学を卒業する。1993年にプロゴルファーテスト合格。1999年の「ファンケル沖縄オープン」でツアー初優勝を果たす。(当時はゴルフ日本シリーズの後、この大会が年間最終戦だった。)2001年に日本オープン選手権で優勝し、初の日本国内メジャータイトルを獲得。1ヶ月後の「ダンロップ・フェニックス選手権」で、最終日に世界ランキング3位のデビッド・デュバルを追い詰めたが、プレーオフでデュバルに敗れた。2003年の「アイフルカップ」でツアー3勝目を挙げる。2004年に日本ゴルフツアーの選手会長を務めた。
2005年の「カシオワールドオープンゴルフトーナメント」で、選手会長の横田真一と副会長の手嶋が、女子選手として参戦したミシェル・ウィーと同じ組で回って話題を呼んだ。手嶋は“ウィーちゃん”との同組ラウンドにご機嫌だったという。
2006年 地元福岡のアンダーアーマーKBCオーガスタ で4勝目 さらに、ブリジストンオ-プンで2位と6打差の通算22アンダーの大会最多アンダーで5勝目をあげた。
2006年11月16日 2007年度欧州ツアー出場権獲得