ノート:斎藤一
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2004年9月6日 (月) 03:39版で追加された斉藤一が長州藩か幕府の間者だったとする説を詳しく書いてほしいです。(出典など)Omoide 2004年9月17日 (金) 12:28 (UTC)
ネット上で調べてみました。いくつかそれらしき記述はあるものの、いずれも説があるとの記載で出典について言及しているものは見つかりませんでした。引き続き情報をお待ちします。Omoide 2004年9月18日 (土) 15:06 (UTC)
お求めの情報でなくて申し訳ありませんが、剣の流派は不明とありますが、「新選組・ 斎藤一の謎」赤間倭子 新人物往来社(参考文献にあるのと同じ本だと思います)に よると、無外流です。この本のp29からp30を読むと、一刀流だと思ってしまいそうですが、p52からp57を読むと、無外流であることがわかります。不明としたのは、 これを読んだうえで、この記述では、斎藤が無外流を学んだという証拠にはならない、と判断して不明としたのでしょうか。そうであるならば、何も言うことはありません。 もう1つ。一瀬伝八とありますが、私が読んだ新選組に関する本には、一戸伝八と 書いてあり、一瀬と書いてあるものは、1冊もありませんでした。一戸が間違いで、 一瀬が正しいということが判明したのなら、これまた、何も言うことはありませんが。
どちらともとれないということが「不明」となる根拠です。一刀流でも無外流でも現在立証する公的資料は存在しません。「一瀬」も「一戸」とする文献があるのでこれも「不明」の根拠です。「一戸は誤りだ」とする確たる当時の公的史料(のちの研究家の推量ではなく)も存在しません。本文には推しえるものも多分に含まれておりますが、現在、一番信憑性のあるものを掲載してるのではないかと思います(本文のうち、私が執筆したのは山口家の部分のみで、主に公文書を引用論拠としております)。--ふんにゃらにゃ 2006年5月16日 (火) 21:43 (UTC)
斎藤一のもう一つの変名・一瀬伝八について。 原本の古文書を活字化する時に一戸伝八と解読者は行いました。この解読文をもとに、斎藤一の高田での変名は一戸伝八とされて書籍にまで今もって使用されています。全ての変名が記されている原本を直接、撮影してきて解読すると一瀬伝八が正しい。伝も傳が正確であるが、固有名詞となっているので変えずにいる。判明したことを知っている人は一瀬という苗字を単行本でも使用。「斎藤一の謎」の著者は、身動き出来ないのだから直し様がないのです。「一瀬伝八」の場合は、写真で数点紹介されている古文書の他、少ししたら活字化となる 史料にも「一瀬」でした>Omoideさん。 誤りと指摘した文が載っている最初の本は「新選組組長列伝」>Omoideさん。)。なお、私的史料のみでなく公的史料にも「一瀬」とあるのです。--TI 2006年5月16日 (火)
[編集] 座右の銘について
人物欄で、座右の銘は「悪・即・斬」となっていますが、文章が不自然に感じます。もし架空の造語ならここには載せず、るろうに剣心のほうに載せるのが適当だと思います。いずれにせよ書き換える必要があると思いますがどうでしょうか?—以上の署名の無いコメントは、焙煎(会話・履歴)氏が[2006年9月6日 (月) 09:05 (UTC)]に投稿したものです。
マンガ「るろうに剣心」という中での斎藤一の架空の造語ですから上記のとおり、掲載することに賛成(TI@)斎藤一の項目では削除する必要性があることでしょう。—以上の署名の無いコメントは、TI@(会話・履歴)氏が[2006年9月11日 (月) 17:36 (UTC)]に投稿したものです。
削除しました。「るろうに剣心」の斎藤は完全に架空の人物で本項とはなんの関係もありません。なお「最強の剣士」であるというのも抽象的な讃辞で百科事典の記述にそぐわないので疑問あり。210.248.149.162 2006年10月4日 (水) 05:41 (UTC)
お三方と同意見です。ノートで表明されている意見を踏まえ、「史実と漫画の混同」と編集理由に明記した上で該当部分を削除しましたが、IP:121.2.11.26(会話|履歴|whois)に「意図不明」という理由で差し戻されてしまいました。--218.218.206.192 2006年10月7日 (土) 14:42 (UTC)
あまりにもシーソーゲームになったり、どさくさにまぎれて自己の都合で改変したりと、激しいので、掲示しました。表紙へ貼ることにより、ノートへの注目が増しますので、議論したうえでまとめてください。ちなみによほど納得がいかないもの以外は、私からは修正することはせず、切り貼りで文意がおかしくなったときのみ登場します。--ふんにゃらにゃ 2006年10月8日 (日) 23:35 (UTC)
るろうに剣心の斎藤は間違いなく現実の斎藤一をモデルにしたものであり、その旨の記述を削除することは不適当かつ無意味。現にこの場で議論にあっている。他者が今後、事実を攪乱させる記述を書くことを避ける意味でも、この部位の記述は必要。--163.139.178.183 2006年10月10日 (火) 12:05 (UTC)
- 子母澤寛や司馬遼太郎ならともかく、和月伸宏では、163.139.178.183さんのような心配は無用だと考えます。また「斎藤の「士」としての観念論を端的に表した言葉として評価されている」という記述は、163.139.178.183さんの論法では正当化できません。そもそも、そのような事実がほんとうにあるのかどうか、はなはだ疑問です。やはりこの部分はすべて削除すべきです。かりに、今後「悪・即・斬」を誤って書き加える人がいたとしても、そのつど編集すればすむことです。--呆庵入道 2006年10月16日 (月) 14:16 (UTC)
下記の方針に沿って編集しました。ご意見・ご異議などはノートにお願いします。--呆庵入道 2006年10月22日 (日) 10:19 (UTC)
- 「悪・即・斬」は、特に異論もないようなので既定方針どおり削除。
- 呼び名は、記事名と一致する「斎藤」で統一。
- 同じことを2度3度と繰り返して述べたり、関連することがらがバラバラに述べられたりしている箇所があるのを集約。
- 記述が前後で矛盾していたり、リンク先の記述と相違する部分を整理。
- 熟語として熟さない言葉や不自然な言い回しを修正。
このうち、斉藤一の出自のみ加筆しました。斉藤の成育の環境を生育する主家、鈴木家についてのエピソードの一部がWIKI内で確認できるからです。根拠はコピーですが、旧足助町教育委員会が所持する公用録のコピーから、山口廣明こと山口喜間多の名前が鈴木家の家臣として確認できるからです。また明治7年まで山口家は鈴木家の戸籍の附籍となっていることも確認できます。--ふんにゃらにゃ 2006年10月22日 (日) 13:53 (UTC)
- 鈴木正三の記事に斎藤一に関するエピソードがないのに、鈴木正三の記事にリンクを張っても無意味だと思います。Wikipedia内に斎藤に関するエピソードがあるなら、その記事に直接リンクすればいいのではないでしょうか。--呆庵入道 2006年10月22日 (日) 14:07 (UTC)
なお、それとは別に、そろそろ「中立性の観点」をはずすことを提案しますがみなさんいかがでしょう。--呆庵入道 2006年10月22日 (日) 14:07 (UTC)
:生家の背景を知るのに必要と申し上げておりますので再度UPいたしました。 斉藤一の幼年期から青年期に至る山口家の主家に関する説明がWIKI内にあるのですからUPはあってもよいと考えます。--ふんにゃらにゃ 2006年10月22日 (日) 18:14 (UTC)
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- ご自分で編集合戦を理由として「中立性の観点」を提起されていながら、ご自分が編集合戦の口火を切るような編集をなさるのはいかがなものでしょうか。お互い、みっともない真似はよしましょう。やはり「中立性の観点」は続行すべきですね。昨日の提案は取り下げます。
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- さて、再度お願いしますが、おっしゃるように、斎藤一と旗本鈴木家とのかかわりを示すエピソードがWikipediaで確認できる、ということでしたら、まずその記事にリンクを張っていただけませんか。鈴木正三というさして知名度が高いわけでもない人物の、200年ものちの子孫の家に、斎藤の父親が奉公していた、というだけでは、いかにも関連性が稀薄すぎます。正三の思想や言行が、斎藤の人格形成に影響を与えている、というのなら、むしろ記事本文にそのことを明記すべきです(もちろん傍証は必要です)。百科事典なのですから、言外にほのめかすような記述はすべきではない。そうでなければ、やはり削除すべきです。現状のように、ただ「旗本鈴木家は鈴木正三を出した家である」と書いてあるだけ(直系の子孫なのか傍系の血縁なのかも不明)では、なんのために記載してあるのか、まったく意味がわかりません。それではせっかく調査された情報がもったいないです。ただWikipedia:検証可能性#但し書きもご参照ください。--呆庵入道 2006年10月23日 (月) 13:12 (UTC)
- 「みっともない真似はよしましょう」というような中傷めいた文言を書かれることに品性の欠落を感じますね。編集に関する点でいえば、「鈴木正三」項目のリンクを挙げたのは私であり、責任があると思いますので、その点のみを修正しているだけに過ぎません。ほかにも疑問点は多々ありますが、「通説」という観点からあえて書かなかっただけに過ぎません。
- 斉藤一の生家についてはノートの前章でも書いたとおり、WIKIで確認できる項目だったから挙げた訳で、WIKI上になければ当然挙げなかった訳です。で、問題をすりかえてますが、私は斉藤一の幼年期から青年期に至る山口家の主家に関する説明になれば、ということですでに項目化されている鈴木正三をリンク化したのであって、斉藤と鈴木家の関係を説明したわけではありません。ただ、山口家が鈴木家へ奉公をしていたことは斉藤の長男、藤田勉氏が遺した「藤田家の歴史」(新選組隊士ノート・新人物往来社)で確認が出来ます。「私文書だから信用できない」と言われてしまえばそれだけですが。ただ、この文書を信用しないということになると、斉藤の歴史の一部が根底から覆るのですが。
- それと、もの凄く誤解していらっしゃるようですので付言しますが、斉藤一と鈴木正三を比較して、どちらが有名か、またどちらの方が歴史的活躍をしたかをご存知ないようですね。HPで簡単に確認できるよう、このノートと鈴木正三の項に鈴木正三記念館鈴木正三を貼り付けます。
- 最後に、誤解されるといけないので再度付言しますが、今回の件のつき、あくまでも論議をしている感覚でおりますので、決して貴殿の人間性や、周辺関係についてを問うてるものではありません。ま、落ち着いた論議をいたしましょう。--ふんにゃらにゃ 2006年10月23日 (月) 21:24 (UTC)
- しつこく書いて申し訳ありませんが、いずれ旗本鈴木家については項目を作成したいと考えます。ちょっと多忙な時期でもあり、すぐにUPしろ!といわれたら元も子もないですが、そう遠くない時期に考えておりますので、ご理解いただけたらと思います。--ふんにゃらにゃ 2006年10月23日 (月) 21:38 (UTC)
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- 本記事が過去に何度も編集合戦になっているのを踏まえ、今後は編集する前にノートで議論しましょう、と提案したのですが、まったく耳を貸していただけなかったので、遺憾の意を表したわけです。しかし「みっともない」という表現はいささか感情的なものでした。申し訳ありませんでした。「あなたが」ということではなく「お互いに」と書いてあることで意を汲んでいただけたらと思います。なお、Wikipedia:記事の所有権の記述によれば、Wikipediaの記事には特定の筆者は存在しないということですので、記事に対する「責任」ということはあまり意識されないほうがよろしいかと思います。誤りがあれば誰かが直します。
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- 「エピソード」については、斎藤一の記事なのだから、当然、斎藤に関するエピソードなのだろう、と早合点してしまいました。失礼しました。山口祐助が旗本鈴木家に奉公していたことについては、特に異論をはさむものではありません。ただ、ご指摘のように公刊された出版物でそのことが確認できるのでしたら、足助町教育委員会で個人的に複写したゼロックスコピーよりも、出版物のほうを出典として、またノートではなく本文のほうで、提示されたほうがよいと思います。そのことは、Wikipedia:検証可能性でも推奨されています。
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- 鈴木正三の知名度が低い、というのは、斎藤一と比較したわけではありません。Wikipediaは歴史事典でも人名事典でもないので、ほとんど予備知識を持たない人の目にも触れるわけです。織田信長や伊藤博文のように誰でも知っている人物ならばともかく、鈴木正三では、現状のような記述は、ただ読む人違和感を与えるだけだろうと考えました。まして、リンク先の鈴木正三の記事には、斎藤一とのかかわりは何ひとつ記されていないわけですから。本記事に鈴木正三への言及は必要ないと考えます。いま流行の言葉で言えば「トリビア」という以上のものではないでしょう。その考えはいまも変わりません。やはりこの部分は削除すべきです。本記事との関連性が特にないのに、ただWikipediaに鈴木正三の記事があるから、というだけではわざわざ記載する理由にはなりません。いかがでしょうか。
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- なお、旗本鈴木家の記事を立てられるとのこと、期待しています。ただ、私としては、とりあえずは、本記事がより充実したものになるほうを望みます。むしろ、本記事のほうを優先していただいたほうが嬉しいです。旗本鈴木家に関する調査から、正三の思想・言行が斎藤の人格形成に与えた影響が判明してくるかもしれませんし。本記事で鈴木正三への言及がなされる以上は、その点への言及も欠かすことはできないと考えます。--呆庵入道 2006年10月26日 (木) 13:00 (UTC)
- 文章を読んだ限りにおいて納得がいただけたようでしたので安心いたしました。ただ、現時点で中途半端に書いてしまうと余計な「混乱の元」となりますので、もう少しお待ちください。若干釈明の意味で触れますと、旗本鈴木家は戦国時代まで遡り、明治まで続き、現在、子孫は絶えております。なお、旗本鈴木家を建てた場合、僅かに斉藤一も触れることになりますので、その場合は鈴木正三のリンクをはずす必要もあると考えています。その代わり、鈴木家をUPする手法が良いのかと思います。斉藤一の生家に関する作品については出版社と話し合い、出版化の企画はあったのですが、執拗なまでの妨害工作を受けたこともあり、そのため、私自ら敬遠しているのが現状です。--ふんにゃらにゃ 2006年10月26日 (木) 20:25 (UTC)
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- 私の文章力が足りなくて誤解を与えてしまったようなので、再度申し上げます。
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- 斎藤一の父親が奉公していた旗本鈴木家が鈴木正三を輩出した家であることを本記事で言及するのは、正三の思想や言行が斎藤の人格形成に影響を与えていることと併記されるのでなければ、まったく無意味です。鈴木家がどの家か特定したいのであれば、当時の当主の通称や諱、役職、家禄や知行地などを記せばよいのであって、正三への言及は必要ありません。即刻削除すべきです。私が本文を編集しないで現状のままにとどめているのは、編集しても問答無用で元に戻されてしまうことがわかりきっているからであって、あなたの主張に納得したからではありません。
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- 旗本鈴木家の記事を立項することについては、べつだん急ぎません。それよりも、本記事の充実のほうをお願いしたいです。旗本鈴木家について多少とも情報をお持ちなのなら、むしろ本記事の加筆に活用していただいたほうがよろしいかと思います。まったく無名の旗本の、それもスタブにしかならない記事を急いで立ち上げる必要は感じません。また、旗本鈴木家が立項されるか否かは、本記事と鈴木正三の記事とのリンクを張ることの是非とは無関係です。鈴木正三の記事に斎藤一にまつわるエピソードがないのであればリンクを張る必要はない。エピソードがあるなら、張ってもよいでしょう。それが私の立場です。--呆庵入道 2006年10月27日 (金) 15:29 (UTC)
- いろいろと書かれておりますが、とにかくも鈴木正三の家系から鈴木家は派生しており、いま議論することは前章で触れたように「誤解の元」となりますので、少しお待ちいただけないでしょうか?それとも急ぎたい理由があるのでしょうか?また、「無名の旗本」とか、「スタブにしかならない」とか書くのはご自身が鈴木家のルーツをご存知で申しているのでしょうか?再々申し上げますが、時間をください。それとも消さなくてはならない個人的事情でもあるのでしょうか?ともに暇人ではないと思いますので、その点のみはおわかりいただけると思いますが。--ふんにゃらにゃ 2006年10月27日 (金) 23:24 (UTC)
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- 誤解があるようなので、みたび申しあげます。
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- 旗本鈴木家についての記事の執筆を急ぐ必要はありません。時間がとれないのであれば、5年後でも10年後でもかまいません。いつでも好きなときに執筆してください。鈴木家が無名の家系である理由はすでに述べましたので繰り返しません。
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- 私が求めているのは「(鈴木正三の系譜)」というたった9文字を削除すべきだというその1点だけです。理由は、無意味で不必要だからです。この9文字をこのままにしておくのは「混乱の元」だからです。正三の思想や言行が斎藤の人格形成に影響を与えた、という傍証が示されない限り、この9文字は無意味で不必要な記述です。あなたに削除する時間がないのというのであれば、私が代わって削除しますのでいつでもおっしゃってください。
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- いまのところ、この9文字を削除すべきでない理由については、次のふたつしか提示されていません。1.この9文字を書き加えたのは自分なので、この9文字を誰にも削除させずに残すことについて自分は責任を負っている、ということ。2.Wikipediaに鈴木正三の記事があること。私は、1.については、Wikipediaの記事は誰の所有に属するものでもないので、自分の書いたものは誰にも削除させない、などという主張は成り立たないことを指摘しました。2.については、鈴木正三の記事に斎藤一に関する記述がなく、相互に関連性がないことを指摘しました。あなたからの反論は何もありませんでした。
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- 最初の「品性が欠落している」という人格攻撃をはじめとして「個人的事情」を云々しているのはもっぱらあなたです。私は、一片の「個人的事情」もさしはさんでおりません。この9文字を残すべき合理的で客観的な理由があるのであれば、提示していただきたい。なければ削除します。--呆庵入道 2006年10月30日 (月) 12:22 (UTC)
- 貴殿が最初に起こした「みっともない」発言等の人格攻撃から起因して、すでに議論の終了した部位を掘り起こして、いかにも自分が「被害者」のように装うのはやめてください。最初に人格攻撃を行ったのは貴殿であり、「少し待て」という話を自己の都合、判断によって行うこと、また、それが納得できないとなると、人格攻撃を行うのが貴殿のいう「正義」なのでしょうか?
- また「5年、10年」と、いかにも短絡的に取れる文章を書く貴殿こそが「感情論」に走っているのではないでしょうか?
- 今回の原因を簡単に言えば、ご自身が示す理想の斉藤一像(ご自身が本文を全体的に修正したのですからあえてこう記させていただきます)にかの「9文字」が加わったことが屈辱感として写ったのではないでしょうか?
- 私は斉藤一の育った環境にある鈴木家に関することを挿入することが、枝葉であれ、参考になると考えています。まったくアカの他人をリンクしている訳ではありません。特にその9文字を入れたせいで、斉藤一の歴史が変貌してしまうこともありません。ご自身としては否定するでしょうが、本当は消したい理由は違うところにあると感じています。
- また、再々申し上げますが、私は斉藤一の生家、山口家の「主家」に関する参考資料的観点として掲示しているのであり、第一、無名の人物とか、織田信長や伊藤博文と比べて~などという論法でいったら今回提起している斉藤一だってその論法に当てはまるのではないですか?
- 要は単に「消したい」と思ったのに、それが自由にならず、ついには感情論に陥いるはめになり、どうも互いに低次元の「勝ち負け」論理のような愚かな戦いになっているようにも取れてきました。
- 結論として、ご自身自らはきちんとした調査もせずに、勝手に他人のいうことを「無意味」という持論で解し、シーソーゲームを行うことは「子供の論理」ですので、もう少し勉強してください。まぁ、「無名の鈴木家」と唱える貴殿にはわからないでしょうね。あとはご自身の脳内に描く斉藤一として構築するのも一興でしょう。どうか頑張ってください。--ふんにゃらにゃ 2006年10月30日 (月) 21:41 (UTC)
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- 申し訳ありません。何をそんなに激昂されているのかわかりません。
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- 現状のままでは本記事において鈴木正三について記述することは無意味で不必要であるという私の指摘、あるいは旗本鈴木家が無名の家系であるという私の指摘が間違いであるというのなら、根拠を示してそのことを説明すればすむことではないでしょうか。そのように口汚い罵倒のことばを長々と書き連ねる必要はないと思います。まして、書かれてもいない私の底意をあれこれ推測したり、おまえは無知だから説明してもわかるまい、と言わんばかりの態度をとったりすることが正しいやり方だとは思えません。
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- 何度でも指摘しますが、正三の思想や言行が斎藤一の人格形成に影響を与えた、という傍証がともなうのでなければ、本記事で正三について言及することは、読者に予断を与え、読者をミスリードするものです。百科事典なのですから、言外にほのめかすような記述は避けるべきです。
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- 私の指摘が間違っているのでしたら、そのことをきちんと筋道立てて指摘してください。Wikipediaでは、提案から1週間経っても明確な反論がなければ異議がないものとみなされるそうですから、おおむねその程度の日数でお願いします。
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- なお、2006年10月22日(日)19:16の編集については、編集前の文章が日本語としてあまりにも支離滅裂なのを見かねて推敲を行なったものです。私見を付け加えるのは避け、編集の前後でなるべく過不足のないように留意したつもりですが、何か問題がありましたら具体的にご指摘ください。--呆庵入道 2006年10月31日 (火) 13:43 (UTC)
[編集] 提案
文章を校正していて気になったのですが、文中「史料」という言葉が多く出てきます。私は力及ばずそのいちいちを確かめることができなかったのですが、この場合、その史料の名称(固有名詞)や所在・伝来などの情報を書いていただいたら、より充実した記述になるのではないでしょうか。たとえば、中島登の「絵図」というのは、中島の記事にある「戦友絵姿」のことなのかどうか、など、書いてあったほうが親切だと思います。人任せで申し訳ありませんが、幸い、この記事は専門的な知識をお持ちの複数の方が関心を持って編集を続けられているようなので、どなたかお願いします。--呆庵入道 2006年10月23日 (月) 13:26 (UTC)