日英関係
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日英関係(にちえいかんけい)は、日本とイギリスの関係のこと。
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[編集] 年表
- 1600年 ウィリアム・アダムスが九州に上陸したのが日英関係の始まり。後にアダムスの仲介によって東インド会社が平戸に商館を設置する。
- 1623年 アンボン虐殺事件の発生による英蘭関係の悪化と貿易の不振により平戸のイギリス商館を閉鎖、日英関係は事実上断絶する。
- 1673年 リターン号が来航して貿易再開を求めるが、徳川幕府はかつての一方的な撤退を批難して拒絶する。
- 1808年 フェートン号事件
- 1854年 日英和親条約は徳川幕府を代表している長崎奉行とジェームズ・スターリング提督(Admiral Sir James Stirling)の間で10月14日調印された。
- 1858年 日英修好通商条約は徳川幕府とエルギン卿の間で7月18日調印された。
- 1862年 アーネスト・サトウ来日すぐ後、生麦事件
- 1863年 薩英戦争
- 1864年 下関戦争
- 1872年 岩倉使節団の英国訪問
- 1873年 工部大学校設立
- 1894年 日英通商航海条約は青木周蔵とキンバレー外相の間で調印された。
- 1902年 ロンドンで日英同盟が1月30日に調印される。日本を代表したのは特命全権公使林董。英国代表はランスダウン侯。
- 1921年 日本・アメリカ合衆国・フランス・イギリスとの四か国条約により日英同盟廃止が決定。
- 1941年 第二次世界大戦(-45)
- 1951年 サンフランシスコ条約 英国と日本の関係正常化
- 2003年 イラク戦争に有志連合の一員として日英ともに参加し、サマーワに自衛隊と英軍が駐屯。
[編集] 英国と関係ある日本人
[編集] 政治家、外交官
[編集] 小説家
[編集] 軍人
- 東郷平八郎、「東洋のネルソン」
[編集] その他
[編集] 日本と関係ある英国人
- ウィリアム・アダムス
[編集] 外交官
- アーネスト・サトウ
- ラザフォード・オールコック
- ハリー・パークス
- ウィリアム・ジョージ・アストン
- ジョセフ・ヘンリー・ロングフォード
- ヒュー・フレーザー [2]
- A・B・フリーマン=ミットフォード [3]
- ヒュー・コータッツィ [4]
[編集] 条約を調印した国代表
- ジェームズ・スターリング提督 1854
- エルギン伯ジェームズ・ブルース 1858
- キンバレー伯 en:John_Wodehouse,_1st_Earl_of_Kimberley 1894
- ランズダウン侯ヘンリー・チャールズ・キース・ペティ=フィッツモーリス 外務大臣 1902
[編集] お雇い外国人
[編集] 教育、研究
- ウィリアム・エドワード・エアトン
- バジル・ホール・チェンバレン
- ヘンリー・ダイヤー、工部大学校の初代都検(校長)
- ウィリアム・ゴーランド、古墳研究