本間朋晃
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本間 朋晃(ほんま ともあき、1976年11月18日 - )は、日本の男子プロレスラー。山形県東根市出身。
[編集] 経歴
アニマル浜口ジム出身。プロレスデビューは1997年5月18日、大日本プロレスの益子町興行における高橋秀幸戦である。
大日本プロレスで過激なデスマッチを繰り広げてエースとなったが、2000年に退団。以降フリーランスとして活動した後、2002年3月23日に全日本プロレスに入団。宮本和志とターメリックを結成、しかし勝ち星をあまり挙げられず、ついにはタッグ6番勝負に全敗ターメリックを解散。宮本は海外修行に行き本間は全日本に残った。またターメリック時代から、それに因み黄色いタイツやシューズを身につけているが、ターメリック解散直後からはタイツの臀部や膝サポーターに情報誌「ぴあ」と文字の(以前はサポーターの方にチケットぴあの電話番号が)入ったコスチュームで正に同雑誌の広告塔となっている。
2004年には諏訪間幸平と組み世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。その後中嶋勝彦と組みアジアタッグトーナメントに出場、惜しくも決勝で敗れる。
大日本時代には、エースとしてアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦して勝利したが、全日本に一介の若手として入団した後の再戦では秒殺されている。
2006年、全日本プロレスを退団してフリー選手となり、アパッチプロレス軍主催興行で、同じく大日本プロレス出身の葛西純とタッグを結成し、大日本退団以来のデスマッチに挑戦。佐々木貴&BADBOY非道の持つWEWタッグ王座を奪取した。
喉の声帯が潰れており、声がしゃがれ声で聞き取りにくく、あるプロレス雑誌で天龍源一郎、佐藤耕平らとともに”闊舌の悪いトリオ”と言われていた。
[編集] 元祖・蛍光灯デスマッチ
現在、大日本プロレス名物ともなっている蛍光灯デスマッチ。 その始まりは、本間が思い付きで始めたとされる。
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