松平信宝 (上山藩主)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 信宝(まつだいら のぶみち)は、江戸時代の大名。出羽上山藩の第8代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化14年5月19日(1817年7月3日) | |||
死没 | 明治5年3月7日(1872年4月14日) | |||
諡号 | 鶴山 | |||
戒名 | 浄桜院殿光誉法玉鶴山大居士 | |||
官位 | 従五位下、山城守、中務少輔 | |||
藩 | 出羽上山藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:松平信行、母:三橋氏 | |||
妻 | 正室:戸沢氏(秀)、継室:松平氏 側室:吉田氏、土屋氏、茂木氏 |
|||
子 | 松平信庸、松平信安 |
1817年5月19日、第7代藩主・信行の子として生まれる。1831年10月9日、父の隠居により家督を継いだ。同年12月に叙任する。外桜田門番、和田倉門番、大坂加番などを務め、藩政においては天保の飢饉で苦しむ領民の救済など、民政に尽力している。1862年4月6日、子の信庸に家督を譲って隠居し、1872年3月7日に死去。享年56。墓所は山形県上山市の浄光寺。