森山栄之助
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森山 栄之助(もりやま えいのすけ、または森山多吉郎、文政3年(1820年) - 明治4年(1872年))は、江戸時代に活躍した日本の通詞(通訳)。
[編集] 生涯
文政3年6月1日、長崎に生まれる。家は代々オランダ通詞を務めていた。嘉永元年、偽装漂着のアメリカ人ラナルド・マクドナルドから本格的に英語を学び、蘭・英2カ国語を使いこなせる通詞として活躍する。3年には「エゲレス語和解」の編集に従事し、6年のプチャーチン来航の際は川路聖謨の通詞として活躍する。またオランダの地図に樺太の日露国境が北緯50度線となっていることを発見する。これが、日本の対露国境の根拠となる。嘉永7年のペリー来航の際も通訳を務め、その後江戸小石川に英語塾を開く。文久2年には開港延期問題で渡欧した竹内保徳遣欧使節団の通訳としてオールコックと同船でイギリスに赴き、使節一行とロンドンで合流する。その後、各国を回り帰国。帰国後は通弁役頭取、外国奉行支配調役などを歴任すると共に、万延1年の大統領への英文書の作成にも活躍する。しかし、維新後は新政府に仕えることはなかった。なお彼の英語塾の門下生には津田仙、福地源一郎、沼間守一などがいる。また福沢諭吉も短期間ではあったが学んでいる。
[編集] 文献
- 「海の祭礼」 吉村昭著 文春文庫(森山とラナルドを主人公とした小説)