橋立
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橋立(はしだて)は
- 日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の巡洋艦。日清戦争時は防護巡洋艦、日露戦争時は二等巡洋艦。日本三景のひとつ「天橋立」から命名された。同型艦は松島、厳島。
- 昭和15年(1940年)に旧日本海軍が建造した砲艦。砲艦群の旗艦任務用もできるよう設計され、防弾装甲も施されていた。昭和19年(1944年)5月22日、南シナ海において米バラオ級潜水艦「ピキュダ(USS Picuda. SS-382)」の雷撃により沈没。同型艦に宇治。
以下は、1.について詳述する。
[編集] 概要
建造にいたる経緯については、松島を参照。「三景艦」のうち、唯一の国産艦である。これは何としても主要艦艇の国産化を目指したい海軍の強い意向であったが、当時の日本の技術力ではまだ背伸びをしている感があった。結果として、建造期間が他2隻よりも長く、竣工したのが日清戦争開戦直前であった。一説には、この橋立の竣工を待って開戦に踏み切ったとも言われる。
主砲の32cm単装砲は前部甲板に据え付けられ、厳島と艦形が似ているが、副砲以下の装備に若干相違がある。
日清戦争では松島、厳島とともに奮戦して清国北洋艦隊を撃破し、日露戦争では、松島、厳島、そして旧敵の鎮遠の3隻と組んだ第三艦隊第五戦隊の旗艦をつとめた。
[編集] 略歴
- 明治21年(1888年)8月6日 横須賀で起工
- 明治24年(1891年)3月24日 進水式
- 明治27年(1894年)6月26日 竣工
- 明治27年(1894年)8月1日 日清戦争開戦、連合艦隊本隊所属
- 明治27年(1894年)9月17日 黄海海戦
- 明治28年(1895年)2月 威海衛攻撃終了、清国降伏
- 明治31年(1898年)3月21日 二等巡洋艦
- 明治37年(1904年)2月10日 日露戦争開戦、第三艦隊第五戦隊旗艦
- 明治38年(1905年)5月27、28日 日本海海戦
- 明治45年(1912年)8月28日 二等海防艦
- 大正11年(1922年)4月1日 雑役船(練習船)
- 大正14年(1925年)12月25日 廃船
- 昭和2年(1927年) 解体
[編集] 諸元
- 基準排水量 4,217t
- 全長 89.9m
- 全幅 15.6m
- 最大速力 16.0ノット
- 武装 32cm砲1門、12cm砲11門、47mm砲6門
- 乗員 360名