武内享
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武内 享(たけうち とおる 1962年7月21日 - )は、福岡県田川市出身のミュージシャンである。福岡県立八女工業高等学校卒業。身長166cm。血液型はO型。
[編集] 来歴
元チェッカーズのリーダーであり、ギター担当である。藤井郁弥をチェッカーズに誘った張本人でもある。
1983年に「ギザギザハートの子守歌」でデビュー。「ONE NIGHT GIGOLO」「おまえが嫌いだ」「TOKYO CONNECTION」「How're you doing,Guys?」などを作曲した。彼の作曲した曲は、主にアルバムやシングルのB面に収録されている。
1992年のチェッカーズ解散以降は武田真治やCHEMISTRY のサポートなどを務める。2003年、藤井尚之、大土井裕二、徳永善也とアブラーズを再結成した。2004年に徳永が舌癌の為死去したが、アブラーズとしての活動は現在も続いている。
武内の特質として、音楽性もだが、それ以上にあらゆる意味でリーダーシップに長けていたことがあげられる。
チェッカーズでは良い意味で親分肌な性格で楽器組をまとめ、リードボーカルとして絶大な華・オーラがあった藤井フミヤを支えた。2004年徳永逝去の際『送る会』の責任者を務めたのも武内である。
'92年の解散後は前出の武田・CEHMISTRYほか他アーティストのサポートのみならず、プロデュース分野にも進出。芸能活動を休止していた徳永善也の活動再開(2002年、バンド『WILD-G』ドラムス担当)をプロデュース担当者として支えた。翌年にはアブラーズを再結成。
[編集] エピソード
- 武内は本来左利きだが、ギターは右用・左用のどちらも弾ける。アマチュア時代は左用のギターを使用していたが、プロ・デビューが決まってから、選べるギターの種類を広げるため、右用をメインで使用するように矯正した。
- 血液型について、デビュー以来ずいぶん後年まで「A型」と公表していたが、ある理由から血液検査したところO型と判明、以降プロフィールを修正した。なおチェッカーズメンバーは武内・大土井以外は他界した徳永も含め他の五人はA型である。
- 八女工業高校時代生徒会長に立候補、当選し務め上げた経験がある。これには武内が「生活指導上の理由から」2度の停学処分をうけ、後一回処分を受けたら退学必至となった経験から「学校を見返したい」と立候補したいきさつがある。